鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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注⑴山根有三「光悦と宗達」『水墨美術大系 第10巻 光悦・宗達・光琳』講談社、1975年、51頁⑵その拙稿は2021年3月15日に共著で出版される『芸術の価値創造―京都の近代からひらける― 189 ―― 189 ―は、宗達のたらし込みにもその要素をみることができると思う。また、本図のやまと絵技法の彫り塗は、同技法で描かれた鎌倉時代作の「駿牛図」(国宝、文化庁他蔵)にも通じる。現時点では、罔両画の薄墨の要素、牧谿の諧調、彫り塗のやまと絵の表現が本図の源流にあるのではないかという見解を提示したいと思う。おわりに今回の研究で、光廣の賛の内容を解読した結果、本図が禅の文脈で描かれた牛であることがわかった。禅という漢の世界に、宮廷歌人の賛者にふさわしいやまと絵の天神の牛を取り入れ、禅の悟りの境地を表した宗達の牛図は、画期的で、禅の水墨画を発展させたといえる。その牛の源流を探ると、中国の禅林で人気だった罔両画の祖智融の薄墨の要素、牧谿の墨の諧調の要素、やまと絵の彫り塗技法などを踏まえた上で、たらし込みといった新しい技法で禅の表現に取り組んだ宗達の芸術の幅の広さもみえてきた。そして、光廣の和歌と漢詩には、『荘子』を踏まえ、幕府との間を取り持った宮廷歌人光廣の苦悩と禅への憧れを読み解くことができた。宗達と光廣によって作られた本図が、宮廷文化に広がる禅文化を背景に、この時代を反映した詩画一致の世界観であったと言える。世界』(仮題)に掲載される予定。⑶左幅の賛が真筆ではないという指摘は従来からあるが、今回の論稿では補修の観点や紙も含めて科学的調査が必要と考えるため、結論は差し控えたい。⑷徳川義恭『宗達の水墨画』座右寶刊行会、1948年、102頁。水尾博「俵屋宗達筆 牛図」『国華』833号、1961年、367~368頁。山根有三『宗達研究二』中央公論美術出版、1996年、163~164頁、187~188頁⑸大徳寺の江月宗玩自筆語録『欠伸稿』に収録された天神像の画賛の漢詩の内容から判る。芳澤勝弘編『江月宗玩 欠伸稿訳注 坤』思文閣出版、2010年に収録の611番や671番の漢詩参照。⑹『後水尾院 聖廟御法楽』(東洋大学図書館蔵)、高梨素子『後水尾院初期歌壇の歌人の研究』おうふう、2010年、46~47、65~73、368~380頁⑺覚定の日記『寛永日々記』寛永8年9月13日条に「結構成事也」と記載がある。五十嵐公一『近世京都画壇のネットワーク 注文主と絵師』吉川弘文館、2010年、30、47~48頁⑻『荘子』雜編 列禦寇三十二の故事がもとになっており、禅にも取り入れられた。これについては禅文化研究所の西村惠学氏よりご教示頂いた。

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