鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
21/688

― 9 ―― 9 ― 何を指して「日本的」と感じたのかは記されていない。かつて矢崎がパリでの展覧会評で、浮世絵の風景画のようだともいわれた巧みな構図や彩やかな色を大胆に使う表現に日本的な要素を見出したとも考えられるが、見解は定まっていない。 美術史家、キュレーター、美術評論家(2018年3月14日バンドゥンにあるジム氏宅にて取材) Museum Dullah 所在地:Jl. Dr. Sutomo, Sriwedari, Kec. Laweyan, Kota Surakarta Kartono Yudhokusumo 今回の調査で、カルトノのパステル画6点を画像で確認した。最も早い制作年が1934年で、パステル画会の発足年と一致する。また1944年の作品を含め、その画風は矢崎の影響が見て取れる。『ジャワ新聞』(1943年4月26日付)に掲載されたカルトノのプロフィールにも「矢崎に見だされ、その薫陶をうけた」と記されている。 1934年10月16日~11月20日、東京府美術館。無鑑査で出品。 「ジャワ風景画展覧会」(1935年1月25日~30日、日本橋・三越。2月23日~27日、神戸・三越)を開催し、それぞれ170点を出品。日動画廊でも「矢崎千代二画伯パステル画展覧会」を2月20日~24日まで開催した。 『爪哇日報』1934年8月4日付記事。でもそれを描く画家の魂がそれを芸術たらしめる、といった考えを示した。(ジム・スパンカット「インドネシア近代美術の出現」『東南アジア-近代美術の誕生』読売新聞社、1977年、pp.54-58)

元のページ  ../index.html#21

このブックを見る