注⑴倉澤行洋『増補 芸道の哲学 宗教と藝の相即』、東方出版、1990年、赤沼多佳「水指の変遷― 201 ―― 201 ―点である。備前や信楽では、壺や甕、擂鉢などを製作していたことから、技術的にはそうした筒状の形状のものを製作することは可能であった。初めは日用品の大きさや形を整える程度の単純なものだったと想像されるが、時代の求めや茶人の好みに合わせて複雑化・多様化していったと推測される。おわりにやきものは、人の手によって生み出される。しかし、焼成の段階になると、人の手を離れ、窯の内部の焼成の環境にその身をゆだねるしか方法がない。すなわち、やきものは、自然の力によって完成させられるのである。この自然の力とは、土の質や特性、火の温度、空気の流れ、周囲の気温などのことである。これらが窯詰めの時期や器の大きさ、それらの数量や位置関係によって複合的に作用し、器の表面に「景色」と呼ばれる変化を生じさせる。茶の湯草創期に活躍した茶人は、そうした自然の力によって生み出されるやきもの造形性を重要視したのである。本論文では、草創期の茶の湯における水指や建水について考察を試みたが、茶の湯発展期である桃山時代には、器体の側面に二つの耳を付け、胴部にヘラで格子状の文様を描いた花入と同じ造形性をもつ水指がつくられるようになる。花入の形状に関しては、水指や建水とは少し異なる系譜を持つことから、今後、その形状に関する検討も加え、茶道具の造形性に関する検討を深化させていきたい。と種類」(秋季特別展『水指─茶席の水器』、茶道資料館、1995年)⑵古矢弘「歌道・連歌道と茶道」『日本文学研究』第10号、大東文化大学日本文学会、1961年、pp. 31-37、島津忠夫「連歌会と茶寄合」『茶道聚錦』2 茶の湯の成立、小学館、1984年、p.152、熊倉功夫「茶の湯の連歌的性格」『国文学 解釈と教材の研究』43巻14号、学燈社、1998年、pp. 106-112、萩原英子「室町時代後期における茶の湯と俳諧連歌との関連について」、『藝術文化研究』第19号、大阪芸術大学大学院芸術研究科、2015年、pp. 1-15⑶筒井紘一「珠光『心の一紙』再考─『長歌茶湯物語』との関係において─」戸田勝久先生喜寿記念論集刊行会『武野紹鷗 わびの創造』、思文閣出版、2009年、pp. 94-114⑷熊倉功夫「概説 茶の湯の成立」茶の湯文化学会『講座 日本茶の湯全史』、思文閣出版、2013年、p. 14⑸林屋辰三郎『中世文化の基調』、東京大学出版会、1963年、p. 141、島津忠夫「連歌会と茶寄合」『茶道聚錦』2 茶の湯の成立、小学館、1984年、p. 153⑹廣木一人「種玉庵の所在地」『青山語文』第44号、2014年、pp. 13-26、秋定弥生「宗祇『種玉庵』命名小考─継承と再興の精神」『日本語日本文学論叢』第3号、武庫川女子大学大学院文学
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