― 203 ―― 203 ―⑲ 19世紀の円山派研究─矢野夜潮を中心に─研 究 者:大阪大学大学院 文学研究科 博士後期課程 波瀬山 祥 子はじめに本研究では、19世紀に活躍した矢野夜潮(1782-1828)の作品について考察する。夜潮は、名を「正敏」、字を「仲観」、号を「夜潮」のほか「物集女」とした。現存作品数が少なく忘れさられた画家といっても過言ではない。だが、文化10年(1813)と文政5年(1822)の『平安人物志』に名が載り、文化・文政期の京都画壇を彩った画家の一人である〔史料1、3〕。応門十哲の一人である山口素絢(1759-1818)の弟子とされ、『画乗要略』には、「写景ニ長ス」と記される〔史料4〕。「先祖年忌帳」を典拠とする『京都市姓氏歴史人物大辞典』によれば、矢野家は代々「矢野長兵衛」を名乗る絵図師の家系で、夜潮は二代目長兵衛(1736-1819)の次男として生まれ田中家の養子となった(注1)。「写景」を得意としたのはこのような来歴が関係していると予想される。また、『近世人名辞典』には松村月渓(呉春、1752-1811)の門人と記されるように〔史料8〕、四条派風の作例も見られる。管見の限り、夜潮について最も早く言及した研究書は、1974年に刊行されたイギリスの美術史家 J. Hillier氏によるThe Uninhibited Brush JAPANESE ART IN THE SHIJO STYLEで、夜潮の肉筆画3点と狂歌摺物1点が紹介されている(注2)。1998年には『京の絵師は百花繚乱─「平安人物志」にみる江戸時代の京都画壇』(京都文化博物館)において、夜潮の作品2点と略歴が紹介された(注3)。そのほか、「春日祭図巻」(二巻、春日大社蔵)(注4)、「殿中幽霊図」(一幅、福岡市博物館蔵)(注5)、「京洛三十六家山水花鳥人物図貼交屏風」(六曲一双、佛教大学図書館蔵)(注6)、寄合描の「秋七草図」(一幅、個人蔵)(注7)がこれまでに紹介されている。「京洛三十六家山水花鳥人物図貼交屏風」や「秋七草図」からは、夜潮が19世紀の円山派・四条派をはじめとする画壇のなかで、数多くの画家と関わりを持ちながら活躍していたことが窺われる。また近年、金箔地に極彩色で彩られた「高雄秋景・嵐山春景図屏風」(六曲一双、福田美術館蔵)が見出された(注8)。本図は、制作年は明らかではないものの、鮮やかな彩色を特徴とする夜潮の代表作と考えられる。本研究では、過去の図録や目録に掲載された作品、実見調査した作品、データベースで見出せた作品を可能な限り収集し一覧〔表1〕にまとめるとともに、いくつかの作品について言及し夜潮の画業を辿る。作例が少なく、画業の変遷を追うことは現段
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