― 208 ―― 208 ―く残す女性の顔貌表現も素絢の影響と考えられる(注15)。これらの人物は、装束からおそらく公家の者たちと思われ、女性の着物には季節を先取りした秋の草花が丁寧に描写されており一人一人の顔貌表現にも個性が感じられる。ボストン美術館所蔵の「糺ノ森図」(一幅)〔図12〕〔表1、番号16〕も同じ糺ノ森を描いたものだが、手前と奥に森林を描き中央右寄りに川沿いで涼む人物を小さく表し、納涼の様子を俯瞰的に捉えることに主眼が置かれている。「糺森避暑図」はその完成度の高さから、「春日祭図巻」と同様に発注主に公家の存在を感じさせる。夜潮の代表作である「高雄秋景・嵐山春景図屏風」〔表1、番号20〕については、別誌にて取り上げたため詳述を避けるが、輝きの異なる二種類の金箔を用いて画面の大部分を金雲で覆う手法は、素絢の「春秋草花図屏風」(六曲一双、個人蔵)(注16)に先例をみることができる。ただし、金箔地に京都の名所を極彩色の赤や青、緑をふんだんに用いた表現は、他の円山派や四条派には見られず特異な作品といえる。本図の制作年は明らかでないが現時点では、夜潮独自の画風を築いた文政期頃の制作と考えたい。おわりにここまで夜潮の主要作品を取り上げながら、画業の片鱗を追ってきた。しかし、制作年を特定できる作品が少なく、また落款の変遷を追えるほど資料が集まっていない。また、現所在が確認できない作品も多い。例えば、『松江市天神町山内家蔵品入札目録』(昭和3年11月28日)には、八曲一双の応挙筆「保津川図屏風」(重文、株式会社千總蔵)を六曲一双に縮めて描いた夜潮の「保津川図屏風」が掲載されており、円山派の祖である応挙の作品を学んでいたことも注目に値する(注12)。本研究をきっかけとして、今後埋没している夜潮の作品が見出されることを期待したい。夜潮に関する史料1.『平安人物志』文化10年(1813)刊 矢野正敏 号夜潮 姉小路大宮東 矢野長兵衛2.『本朝古今新増書畫便覧』原刻文化15年(1818)、文久2年(1862)刊 夜潮 矢野氏名ハ正敏字ハ仲観 通称物集女 画ヲ好ミ人物花鳥ヲ能ス3.『平安人物志』文政5年(1822)刊 矢野正敏 字仲観号夜潮 四条堺町東 矢野物集女4.『画乗要略』天保3年(1832)刊
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