鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 218 ―― 218 ―天台浄土教信仰では『観無量寿経』の十六観想などの観想念仏をはじめとする儀礼を重んじるが、観想は他の教学でも悟りを得るために行われる重要な修行法の一つであり、円覚経の中でも観想の実践について確かに説かれている(注22)。また、浄源本が、如来の降臨を感得するためには、儀礼の道場を厳浄厳潔にし、盧舎那仏と文殊・普賢菩薩からなる華厳三聖像を設置せよと記している点は注目される(注23)。このように円覚経の本文とその儀礼書が示す内容からは、明らかに観想を重視していることが読み取れるのである。では、本図にあらわされた説法空間について、ここが観想によって見出されたものであるか今一度精査する必要があるが、それを繙く鍵となるモチーフとして、説法空間を取り囲む湧出雲と供養台の上に置かれた香炉を取り上げたい。仏画にあらわされる湧出雲は、仏菩薩と天部との位相を示したり、説法空間を神聖化させたりする役割をもつ表現として一般に理解されるが、近年では宋元仏画の領域において、湧出雲の表現から仏画の主題を心中感得像、示現像、勧請像に分類するという新たな試みがある(注24)。宋元仏画における視覚表象が必ずしも同時代の高麗仏画と共有されているわけではないが、湧出雲の意味を解釈することは、国や地域の差にとらわれることなく、仏画の主題を繙く際に重要な視座を提供すると考えられる。このような観点をもとに、本図に描かれた湧出雲の性格と役割を考察すると以下の二つの事項が想定される。ひとつは、従来の考え方と同じく堂内荘厳としてその神聖性を強調するための表現という考え方である。もうひとつは、観想によって心中に感得することができた円覚浄土(彼岸)と実際に儀礼が行われている道場(此岸)との境界を示しているというものである。本図の湧出雲は、三尊の背後〔図11〕、二十八天王の足元〔図12〕に確認でき、説法空間を取り囲むように描かれているが、前者は説法空間の神聖化のための表現、後者は円覚浄土と現実世界を区別する境界の表現として理解できないだろうか。これ以外にも観想に関連する要素と考えられるモチーフとして、供養台上に置かれた煙のたちのぼる香炉にも注目したい〔図13〕。南宋時代の大徳寺伝来「五百羅漢図」には「羅漢会」の様子を描いた一幅があるが〔図14〕、ここに仏教儀礼における焼香のもつ意味を確認すれば、香炉から上昇する煙が上方の羅漢たちの乗雲と合流している様子がうかがえることから〔図15〕、焼香および雲というモチーフは、羅漢の降臨、そして彼らを儀礼の空間へと導く役割を共に担っていると考えられる(注25)。香煙と乗雲とが同質化していく現象は、複数名の儀礼の参加者の中でも、香炉を手にし、羅漢の降臨を目の当たりにしている僧侶、すなわち観想に成功し羅漢を心中感得する

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