― 220 ―― 220 ―⑶Shih-shan Susan Huang, Picturing the True Form: Daoist Visual Culture in Traditional China(Cambridge: Harvard University Asia Center, 2012), 281-339.⑹Junhyoung Michael Shin, “Iconographic Surrogates Contemplating Amitābha Images in the Late KoryDynasty (Fourteenth Century),” in Archives of Asian Art, vol.55 (2005), 1-15.パク・ヘウォン「高麗時代阿弥陀来迎図と臨終儀礼の関連性についての試論」『美術資料』80号(国立中央博物館,2011年)、45-67頁。イ・スンヒ「高麗後期の立像阿弥陀仏図像の再解釈─天台16妙観修行法の影響をと通して─」『美術史学研究』289号(韓国美術史学会、2016年)、65-92頁、以上韓国語版。この他、高麗の五百羅漢図と十王図における水陸斎との関係性に焦点をあてた研究が注目される。呉永三「京都・知恩院所蔵〈五百羅漢図〉に見られる信仰と霊地」『仏教芸術』327号(毎日新聞出版、2013年3月)、9-34頁。同「滋賀・西教寺蔵「十王二使者図」」『仏教芸術』345号(毎日新聞出版、2016年3月)、47-70頁。2008年5月)、31-52頁参照。⑵井手誠之輔「礼拝像における視覚表象」『死生学研究』16号(東京大学大学院人文社会系研究科グローバルCOEプログラム、2011年)、64-85頁。⑷フィリップ・ブルーム「視覚化された儀礼と観想─大徳寺伝来「五百羅漢図」における水陸会の表現─」『佛敎藝術』344号(毎日新聞出版、2016年1月)、32-53頁。同「「雲集」─聖なる降臨と羅漢会─」『徹底討論・大徳寺伝来五百羅漢図の作品誌─地域社会からグローバル世界へ─』(九州大学Progress100 人社系学際融合リサーチハブ形成型研究報告書、2019年3月)、183-200頁。⑸高麗仏画に関する代表的な研究には以下のものがある。井手誠之輔「高麗佛畫の世界─東アジア美術における領分とその諸相」『国華』1313号(国華社、2005年)、19-37頁。同「高麗仏画研究の現況と課題」『アジア仏教美術論集─東アジアⅥ 朝鮮半島』(中央公論美術出版、2018年)、47-70頁。この他、多角的な観点から研究が進められており、その中でも高麗仏画の材料、腹蔵物、奉安処に関する研究成果が注目される。朴銀卿「高麗仏画の外縁─本地、画幅、奉安に関する問題─」『アジア仏教美術論集─東アジアⅥ 朝鮮半島』(中央公論美術出版、2018年)、509-542頁。⑺井手誠之輔「華厳と天台の融合─高麗の阿弥陀画像を手がかりに─」『高麗仏画─香りたつ装飾美』(泉屋博古館・根津美術館、2016年11月)、130-143頁。⑻絹本著色、掛幅装。法量は、縦165.5cm、横85.5cm。⑼T.842.17.913a-922a⑽井手誠之輔、前掲注⑸、(2005年)、19-37頁。⑾円覚経では説法教主は如来を意味する「婆伽婆」と記されるが、以下の先行研究では本図の主尊は智拳印をとることから毘盧遮那仏と比定している。石田尚豊「毘盧遮那像を追って」『日本の美術270号─華厳経絵』(至文堂、1988年11月)、58-62頁。藤本真帆「湖林博物館所蔵《橡紙金泥大方広円覚修陀羅了義経》について」『美術史論叢』19号(東京大学大学院人文社会系研究科・文学部美術史研究室、2003年2月)、113-126頁。ユキオ・リピット「円覚経変相図」『国華』1313号(2005年3月)、38-39頁。しかし、常青氏は、北宋時代の造像である杭州飛来峰の盧舎那仏会の本尊と本図の図像が一致することから、盧舎那仏と判断された。Chang Qing(常青), “Form and References of the Goryeo Painting of the Rocana Assembly in the Museum of Fine Arts,Boston,” in Journal of Korean art & Archaeology, vol. 7, 2013, 8-19.また、筆者自身も、本図の主尊が頭に宝冠を戴き、耳に垂髪、説法印をとる姿であることに着
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