鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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⑿ 本書は高麗僧義天の師であった北宋の浄源が著述した円覚経に関する儀礼のテキストであり、9世紀に宗密が著した『円覚経道場修証儀』(全十八巻)を一冊に要約したものである。本図は浄源本のの「啓請」部分の内容を描写している可能性が高いと考えている。Yoo Sangsoo, 前掲注⑾, (2019), 55-78.⒀ 前掲注⑾より常青論文参照。⒁ 「況欲啓請賢聖須嚴淨壇場。壇場不嚴潔則道心不發、無所感降(中略)供養三寶。一心繫念、自憶我等有此身來(中略)懸諸幡華。堂中置盧舍那像、兩畔置文殊普賢二像、是為三聖。佛前安圓覺經、以函盛之。點蓮華燈、焚百和香、諸莊嚴具唯要潔淨。」Z.1476.74.513a⒂ 盧舎那仏の脇侍である文殊菩薩と普賢菩薩を除く10菩薩の総高は約20.6cm、跪く菩薩形の総高⒃ 「於是文殊師利菩薩在大衆中即從座起、頂禮佛足右遶三匝、長跪叉手而白佛言。」T.842.17.913b⒄ 十二菩薩の像高は約131-145cm、跪く菩薩形の尊格の像高は約130cm。童登金・胡良学「大足宝頂大佛湾円覚経変窟的調査研究」『大足石刻研究文集』第4輯(重大足石刻研究会、2002年12月)、397-415頁参照。⒅ Bloom, Phillip E., “The Mediating Mind: Image, Text, and Ritual in the Cave of Perfect Enlightenment at Baodingshan, Dazu,” in Archives of ASIAN ART, Vol. 68-1, April 2018, 87-109.⒆ 井手誠之輔「高麗の阿彌陀画像と普賢行願品」『美術硏究』362号(東京文化財研究所、1995年⒇ このように観者の意図が反映され、盧舎那仏に円覚の真如に対する法問を請する聴聞者を僧侶や俗人の姿ではなく、上口菩提下化衆生を追求する菩薩として描写されたことについては、高麗特有の華厳浄土思想の土台となった普賢行原品の思想が反映されたのではないかと推定する。 『仏教語大辞典(上巻)』(東京書籍、1975年2月)、197頁。『日本仏教語辞典』(平凡社、1988 「若佛現在、當正思惟、若佛滅後、施設形像。心存目想。」T.842.17.921a 前掲注⒁参照。 井手誠之輔、前掲注⑵、(2011年)、64-85頁。 フィリップ・ブルーム、前掲注⑷、(2019年3月)、183-200頁。 「羅漢会」以外に大徳寺伝来五百羅漢図の中で観想を表象していると考えられるものに、「戦没者供養」(大徳寺蔵)と「雲中示現」(ボストン美術館蔵)の二幅がある。(『大徳寺伝来五百羅漢図』(国立文化財機構奈良国立博物館・東京文化財研究所編、2014年5月)、26、93頁参照) 前掲注⒁参照。目し、図像としては「菩薩形の盧舎那仏」をあらわしていること、また、この図像は北宋時代から登場し、南宋時代に定着、同時期に高麗も受容するに至ったという考えを公にしている。Yoo sangsoo, “The Perfect Enlightenment Sutra Illumination with a focus on Changes in the Representation of Rocana and Their Reception,” in Transaction of the International Conference of Eastern Studies, No. 64, 2019, 55-78.は17.4cm。3月)、205-236頁。年5月)、165頁。― 221 ―― 221 ―図版出典図1、3-7、11-13:筆者の撮影図2、9、10:筆者の制作

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