鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 229 ―― 229 ―の変種とみてよいだろう。しかし、因陀羅の「観音図」は、一連の「行道観音」の図像に比して、一般の人間の姿により近い印象をうける。『別尊雑記』の「白衣観音図」であれ「補陀落山聖境図」の観音立像であれ、聖なる尊格が現世に示現する場合には、その聖性の象徴として頭頂に宝冠を被り胸元に瓔珞を飾るのを常とする。それに対して、「観音図」の場合は、穴のあいた襤褸をまとって佇んでいる点に大きな特色がある。「観音図」は、聖性をしめす宝冠や瓔珞を省略することで、観音を一段と普通の人間との境界に近づけ、さらに襤褸をまとうことで、現実の貧民のような印象さえ与えている。中峰明本が撰した賛文はこうした画像の印象を踏まえながら、襤褸をまとった観音像を「貧」の表象と解釈している。賛文の一行目から四行目にわたる「去年貧未是貧、百八摩尼掌上輪。今年貧始是貧、弊袍零落不遮身」は、去年の貧しさは未だ貧しさではなく、数珠(百八の摩尼)を掌の上に回していたが、去年に比べ、今年の貧しさは本当の意味で貧しさになり、弊袍はボロボロになって体を隠すこともできない、という意味である。「去年の貧しさ」とは数珠を手にした普通の「行道観音」の図像、「今年の貧しさ」とは数珠を手にしているだけでなく、襤褸をまとった「観音図」と対応している。やや合理的判断を差しはさむならば、つまり、こうした賛文の内容と対応し、「観音図」が一般的な「行道観音」の図像よりはさらなる「貧」としての極貧の姿として描かれているということもできよう。しかし、賛文で言及する「貧」は、悟りの境地に擬えられている点に注意しておきたい。続く「去年貧、尚有卓錐之地。色從耳見、聲以眼聞。今年貧、和錐也無。天雲不翳、海月無痕。」では、去年の貧しさは錐を挿す余地がまだあり、色を耳から見、音を目を以て聞くことができたが、今年の貧しさは錐すらなく、空には雲による遮蔽がなく、海には月の影すら映らないという。つまり、一般の「行道観音」では、眼、耳、鼻、舌、身、意という「六根」は清浄で、お互いに他根の作用を具有するため、色を耳から見て、音を目を以て聞くことができるが、「観音図」では、それだけではなく、雲で覆い隠されていない空、さらに月の影がない海に見立てられる境地、すなわち執着がないという境地に到達し、普通の「行道観音」より更に高い悟りの位相に近づいたといえる。興味深いことに、これまでの賛文は『景徳伝灯録』に記載されている仰山慧寂の逸話と関係がある(注9)。『景徳伝灯録』によると、ある日、慧寂は同門の香厳智閑に「最近、如何なる見処があるか」と聞き、智閑は「これについては、私は言い切れないので、次の偈で表す。『去年の貧しさはまだ貧しさになっていなかったが、今年の

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