鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
243/688

― 231 ―― 231 ―墨で暈された頭髪、および濃墨で強調された上瞼、鼻孔、唇の描写が、「布袋図」(徳川美術館)に通じている。しかし、「布袋蒋摩訶問答図」の布袋は、「布袋図」(徳川美術館)が極めてうすい淡墨で描かれているのとは異なり、全体的に墨色が強く、濃墨が強調されている。特に襟、袖口、帯などではやや幅広の濃墨線が際立っている。こうした描写の特徴は、因陀羅とほぼ同世代に中国の江南の禅林で活躍した日本僧黙庵による「布袋図」(MOA美術館)〔図8〕をはじめ、因陀羅よりやや遡る時期の樵隱悟逸が着賛した「五祖荷鋤図」(福岡市美術館)〔図9〕にも認められ、十四世紀の江南の禅林における水墨人物画において共通したものとなっている。ただし、線のもつ多様な表情を駆使する黙庵筆の「布袋図」と悟逸賛の「五祖荷鋤図」に対して、因陀羅は、「禅機図断簡」において、筆の穂先の形が表れず、丸味を帯びたような線を主としている。黙庵筆の「布袋図」と悟逸賛の「五祖荷鋤図」では、極細の肉身線においても微妙な肥痩があり、幅広の衣紋線には擦れが現われている。一方、「禅機図断簡」では、濃墨で描かれている襟、袖口、帯などを除いて、衣紋線と肉身線の太さはほぼ均質を保っている。因陀羅は、それだけでなく、筆のもたらす多様な表情を避けた筆遣いを駆使し、「禅機図断簡」の人物に稚拙な印象さえ与えているのである(注13)。こうした用筆は因陀羅にアトリビュートされた作品にしか認めることができないことから、本来的に因陀羅の特色であったものに違いない。添景として人物の周りに配される植物や地面などの描写も注目される。中墨による樹木と濃墨による地面に生えた蘖は、中墨と濃墨のコントラストをつける点で、人物の描き方と相通じている。しかし筆遣いからいえば、飛白の効果をもたらす渇筆を多用する樹木、地面、岩座は、すでに見てきた均質な線による人物の描写と異なっている。こうした添景における用筆は、稚拙味を帯びた人物の筆遣いと対照的で、樹木、地面、岩座の粗い質感を見事に表している。興味深いことに、「禅機図断簡」に描かれている岩座〔図10〕は、文人として知られていた趙孟頫による飛白石を想起させる。しかし、趙孟頫の飛白石を代表する「秀石疏林図」(北京故宮博物院)〔図11〕では、岩は連綿とした一筆的な飛白の筆法で描かれているのに対し、「禅機図断簡」では、岩座は線的な効果というより面的な効果による擦れでその凹凸が表されている。この点において、「禅機図断簡」の岩座は「秀石疏林図」の岩と同様に筆跡の形式美を強く意識しているとは思われない。画風の分析より、「禅機図断簡」は十四世紀の江南の禅林に伝わっていた罔兩画の描法だけではなく、「秀石疏林図」のような文人画をも部分的に参照したことが確認された。「禅機図断簡」の中の「寒山拾得図」には、「宣授汴梁上方祐國大光教禪寺住

元のページ  ../index.html#243

このブックを見る