注⑴ 管見の限り、中国の画史に因陀羅についての記載はみられない。一方、「君台観左右帳記」をはじめとする日本の資料は、因陀羅を元時代の中国で活躍していた「梵僧」であるとしている。⑸ 心月、智愚、了恵、紹曇、正念が「禅会図」に題する詩文はそれぞれの語録に掲載されている。⑹ 祖元が「禅会図」に題した詩文は『佛光國師語録』巻八に収録されている。⑺ 元・泰定三年(1326) 揭傒斯「佛光禪師塔銘」(一真等編『佛光國師語録』巻十所収)。⑻ 泉武夫「『行道観音』図像をめぐって」『仏教美術論集2・図像学 Ⅰ・イメージの成立と伝承⑿ 島田修二郎「罔兩画 上・下」『中国絵画史研究』、112-135頁(『美術研究』84、1938年、『美― 233 ―― 233 ―「禅機図断簡」の画風は、十四世紀の江南の禅林に伝わっていた様式を継承しながらも、筆のもたらす多様な表情を尊重する伝統的な描き方を脱する点が特徴である。江南の禅林に関係する主題と画風をもつ「禅機図断簡」、およびこれと近似している作例は、因陀羅の禅余画と看做せる。それに対して、「観音図」は線描の表情が「禅機図断簡」より多様であり、しかも墨の暈しと着色が併用されている点も伝統的な画法に近く、さらにその図像も禅教一致の思想を示したことから、因陀羅の禅余画というより、むしろ教僧にも開かれた仏画的性格をはらんだ作例とみてよいだろう。⑵ 大串純夫「楚石の賛ある因陀羅画」『国華』583、1939年、193-199頁。⑶ 海老根聰郎「観音図 因陀羅筆 解説」『元時代の絵画 モンゴル世界帝国の一世紀』大和文⑷ 島田修二郎「因陀羅の禅会図」『中国絵画史研究』中央公論美術出版、1993年、161-173頁(『清閑』5、1940年初出)。Yoshiaki Shimizu, “Six Narrative Paintings by Yin Tʼo-lo: Their Symbolic Content,” Archives of Asian Art, Vol. 33, 1980, pp6-37.⑼ 北宋・景徳元年(1004) 永安道原『景徳伝灯録』巻十一「袁州仰山慧寂禪師」。⑽ 如来禅と祖師禅の区別については、鄭茂煥「祖師禅について」『印度學佛教學研究』34巻1号、⑾ 「禅機図断簡」の画風と「罔兩画」の関係については、Yoshiaki Shimizu, Problems of Moku'an Rei'en (?-1323-1345), PhD Thesis, Princeton University, New Jersey, 1974, pp. 250-268; Yoshiaki Shimizu, “What Happened to Wang-Liang-Hua (Mōryōga)?”『国際交流美術史研究会シンポジアム・7・東洋美術における影響の問題』国際交流美術史研究会、1990年、65-74頁を参照。⒀ 戸田禎佑「宋元禅僧画家の絵画―主として禅余水墨画風について」『中国文化叢書・第7巻・⒁ 因陀羅の名前については、前掲注⑷の「因陀羅の禅会図」を参照。図版出典図1、3の左 E国宝 http://www.emuseum.jp/。図2、3の右 前掲注⑶、図版73、124頁。華館、1998年、158頁。(密教・垂迹)』竹林舎、2012年、83-99頁。1985年、287-290頁を参照。術研究』86、1939年初出)。芸術』大修館書店、1971年、125-138頁。
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