― 245 ―― 245 ―謝辞:今回の調査にあたり、海の見える杜美術館、京都市美術館、京都市立芸術大学芸術資料館、京都工芸繊維大学附属図書館をはじめ関係各機関に多大なご協力をいただきました。深く御礼申し上げます。⒄人物を中心に据えた草稿はこの他にも見られ、現存作例との関係が明らかな「美人納涼図」や「資朝卿出家之図」(いずれも個人蔵)「孟母断機図」(海の見える杜美術館所蔵)の画稿も確認された。⒅楳嶺は弟子に代赭で草稿を作らせ、墨で指導を加えたと伝えられている。本文でも述べたように、草稿類のうちどこまでが楳嶺の手によるものかは今後の精査が必要である。⒆前掲注⑷⑸⑺。《猿ヶ島復讐図》の現存は確認できないが、画稿が『楳嶺遺墨』に収載されている。⒇一例をあげれば、本資料群と近い性格をもつ、国井家所蔵応挙作品粉本や、応挙の弟子・嶋田元直の家に伝わる嶋田家伝来の粉本、画譜類がある(『失われた応挙を求めて 国井応文・応陽粉本展』図録、京都市社会教育振興財団、1986年、高井琮玄編『円山派下絵集(一)~(五)』光村推古書院、1997年)。どちらの資料も楳嶺私塾資料と同様に、仏画や山水、花鳥、人物など多様なジャンルを内包している。本稿では十分に検討することができなかったが、楳嶺私塾資料はこれら近世の画派の蓄積してきた画の伝統の一部でもある。円山派の画法を20年間学んだ楳嶺の画技や絵画観の基盤を改めて考えるべき材料でもある。
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