鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 14 ―― 14 ―線には別荘のある丘が見える。広場の上には雷雨に洗われてよく晴れた空が広がっているが、日が傾いているように感じられる。というのも家々やごく稀な通行人たちの影が、広場の上にとても長く伸びているからである。丘の方を眺めると、最後の雷雲が足早に過ぎ去っていく。所々にある別荘は全て白く、その真っ黒い空のカーテンがかかった地点の反対側から見ると、そこには何か荘厳で墓を思わせるものがあった。突然、私は柱廊の下にいて、人々の群れに巻き込まれている。彼らは色とりどりの菓子でぎっしり詰まった棚のあるケーキ屋の扉に押しかけている。まるでそこが、通りで怪我をしたり、病気になったりした通行人が運びこまれた薬局の扉であるかのように、群衆は押し合って店内を覗き込む。だが、ちょうど私も覗き込んでいると、父の背中が見える。父はケーキ屋の真ん中に立って、ケーキを食べている。だが群衆が父のために押し合っているのか、私にはわからない。そのとき私はある不安にかられて、西の方のもっと親切で新しい国に逃げたいと思う。同時に私は上着の下に短刀か短剣を探している。このケーキ屋で危険が父を脅かしているように思われたからである。私は、ケーキ屋に入ったのを感じる。短剣や短刀は、山賊の巣に入るときのように私にとって不可欠なものである。それでも不安は大きくなり、突然群衆が私を渦のように追い詰め、私を丘の方に連れていく。私は父がもうケーキ屋にはいないという印象、彼は逃げ、泥棒のように追いかけられているという印象を抱き、この不安な思いのうちに私は目覚める(注1)。この夢の記述は、奇妙なほど明瞭にフロイトにおけるエディプス・コンプレックスを示していると言える。一つ目の場面においてデ・キリコは父を殺そうとあがくのだが、既にこの世を去っている父をもう一度殺すことはできない。二つ目の場面は、まさにデ・キリコの形而上絵画に頻出するいわゆる「イタリア広場」〔図1〕そのものであり、その一角にある店のなかで父はケーキを食べている。エディプス・コンプレックスの図式に従えば、父が「食べる」のは母だろう。だからこそこれを目撃したデ・キリコは不安にかられ、逃げ出したくなるのだが、それでも短剣あるいは短刀を探しながら、ケーキ屋、つまり両親の寝室に入る。短剣や短刀は幼いデ・キリコの短い性器であり、父を脅かす危険とは、やはりデ・キリコ自身の父殺しの願望に由来する。だがこの願望は「群衆」によって阻まれ、「イタリア広場」のイメージの深部の「丘」へと抑圧される。そして父は逃走したようだが、不安は消えない。何故なら父が逃走を続けてくれなければ、自分はやはり父を殺そうとしてしまうからである。

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