― 252 ―― 252 ―容器および容器と推定される破片 大友府内町跡の第41次調査で1点、同第43次調査で1点、肥後阿蘇氏浜御所跡で3点が出土した皿(坏)は、いずれも底面で約3-4mmある厚手のつくりである〔図4〕。肥後阿蘇氏浜御所跡出土品がカリ鉛ガラスであることから(注14)、大友府内町跡出土品も同材質と推測される。福井県一乗谷朝倉氏遺跡で発見された同形品の復元研究により、これらは型押し技法で成形された可能性が指摘されている(注15)。上述のとおり、中国では宋から明に比定される作例に玉を模したような色調をした厚手の盤や碗が確認できる。器形が完全に一致するわけではないため安易に結びつけることはできないが、東アジアにおける型成形による厚手の皿・碗形器物の系譜関係のなかで捉えられる可能性のある資料群として注目される。珠類 大友府内町跡第48-1次調査等で出土したミカン珠〔図5〕はキリスト教遺物のコンタと考えられているが(注16)、分析の結果、原料に中国・華南産の鉛が用いられていることが判明した(注17)。元代の墓からミカン珠が出土していることからも、中国より日本へ搬入された可能性が高い。また、大友府内町跡では赤色透明のガラス珠〔図6〕が出土する。同色の珠は大友府内町跡とほぼ同時期の一乗谷朝倉氏遺跡や京都府山科本願寺跡では出土していない一方、アイヌ文化期の北海道にはみられる(注18)。日本において銅着色の赤色透明ガラスは幕末の薩摩藩ではじめて製造されたとされていることから(注19)、この種の珠も搬入品の可能性が高い。特定の地域でのみ出土することから、流通経路を考えるうえでも興味深い資料である。その他 大友府内町跡で出土したボタン状製品〔図7〕は表面が曲面をなす一方、裏面は平坦で細かく波打つような型跡を残す。平坦ないしわずかに凹んだ型にガラスの粒を乗せて加熱することで、型に触れていない表面が熱で滑らかに仕上がったものと考えられる。同形品は中国・韓半島でも出土する一方、時期的に先行する博多遺跡群でも出土しており(注20)、製作地判別に課題が残る。また、革帯残欠は、中国出土資料と異なる特徴を示す。〔図8〕に示すように本資料には孔がない。中国で出土するガラス製帯装飾は、博多遺跡群第80次調査出土品〔図9〕のように表裏に貫通する孔を有するものが多く、〔図3〕のように表面に孔がない場合でも、玉製品にみられるように裏面に孔を穿っている可能性が高い。今後のさらなる検討を要するが、革帯残欠の丸鞆と巡方は国内製の可能性も考えられる。以下、中国・韓半島出土資料との関連性から注目される資料について述べる。以上のように、13~16世紀の日本出土・伝世資料には、搬入品の可能性が高い製品がある一方、国内製の可能性のある製品も見出すことができる。今後、本稿で言及で
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