注⑴岡田譲『日本の美術37 ガラス』至文堂、1969年⑵京都市埋蔵文化財研究所『京都市内遺跡発掘調査報告 平成17年度』京都市文化市民局、2006年/田村朋美「化学分析された一乗谷のガラス玉」『戦国時代の金とガラス~きらめく一乗谷の文化と技術~』福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館、2014年、96-99頁/中井泉 他「一乗谷朝倉氏遺跡から出土したガラスの化学組成分析」『一乗谷朝倉氏遺跡資料館紀要2014』福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館、2014年、34-44頁/降幡順子 他「中世におけるガラスの国産化の可能性―博多遺跡群のガラス生産遺物に関する分析結果から―」『考古学と自然科学66』日本文化財科学会、25-44頁― 253 ―― 253 ―きなかった資料についても検討を進めるなかで、当期日本のガラス生産技術や需要をめぐる様相をより具体的に示したい。3-3.鎌倉市内出土ガラスの分析調査分析調査は村串まどか氏(筑波大学人文社会系)と阿部善也氏(東京電機大学工学研究科物質工学専攻)のご協力のもと実施した。計29点の資料について、蛍光X線分析装置を用いてガラスに含まれる元素の定量分析を行なった。また、うち10点は密度測定をあわせて実施した。蛍光X線分析と密度測定を併用することで、鉛を多く含むガラスでも組成の定量が可能となる。詳細な分析結果は整理中のため、ここでは概要を述べる。分析の結果、数種の材質が確認されたが、もっとも多かったのはカリ鉛ガラスで、乳濁した青色・白色、透明の淡黄色・緑色・淡緑色を呈する珠や棒状製品、容器片が含まれる。冒頭で述べたとおり、13~16世紀を通じ日本国内でカリ鉛ガラスを生産していた可能性はあるものの、13世紀以降の資料のなかで、分析によってカリ鉛ガラスと確認された事例は多くないのが現状である。本調査結果は中世鎌倉においてカリ鉛ガラスが主に流通していた可能性が高いことを示すとともに、13世紀以降にも継続してカリ鉛ガラスが流通していたことを示唆する点で重要である。謝辞 本研究にかかる調査にご協力いただいた各機関ならびにご担当者様、化学分析にご尽力いただいた村串まどか・阿部善也両博士に、末筆ながら記して心より御礼申し上げます。⑶山崎一雄「日本出土ガラスの化学的研究」『古文化財の科学』思文閣出版、2002年誤植訂正版、初版1987年、274-300頁⑷土屋良雄「藍色ちろりと吹きガラス」『Drinking Glass―酒器のある情景』サントリー美術館、
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