― 15 ―― 15 ―以上のように、この夢の記述は、形而上絵画がフロイトの精神分析と親和性を有していることを示している。少なくともそうした見方をする余地は十分にある。実際にアンドレ・ブルトンをはじめとするシュルレアリストたちは、デ・キリコの形而上絵画に精神分析という「現代的神話」を見出していた。だがシュルレアリストたちが「技術への回帰」(1919年)以降のデ・キリコを強く非難するようになったため、両者の関係は断絶する。結果として、デ・キリコはシュルレアリスムの「先駆者」として美術史上に位置づけられる一方で、「技術への回帰」以降の作品については評価が分かれることとなった。その後、デ・キリコ研究の進展、また同時に第一次大戦後にヨーロッパに広まった古典回帰の動向に注目が集まる過程で、シュルレアリスムによるデ・キリコ観は相応に相対化されていったと言える。形而上絵画時代と「技術への回帰」以降の作品に連続性を見出そうとするデ・キリコ研究者にとって、シュルレアリスムのデ・キリコ観は受け入れ難いものだろう。またデ・キリコ作品に精神分析との親和性を見出すことを、端的に「誤解」とする見方もあるが(注2)、そうだとしてもそうした誤解は何故生じるのかという問題は残るだろう。あるいは、それはそもそも誤解だろうか。というのも、デ・キリコの形而上絵画の理論的根拠であるショーペンハウアーとニーチェは、フロイトの思想的「先駆者」でもあるからである。本論では、こうした思想史的連関からデ・キリコと精神分析の関係を再考するための糸口を提示したい。残念ながら字数の関係上、ここで示すことができるのは問題の理論的概略のみであり、より詳細な議論及び個別の作品についての考察は場所を改めて行うこととしたい。2.形而上絵画と「生の無意味」まずデ・キリコとショーペンハウアー、ニーチェの関係を確認しておく必要があるだろう。デ・キリコは「我ら形而上派……」(1919年)において、ショーペンハウアーとニーチェが示した「生の無意味〔non-senso della vita〕」を絵画へ応用したことに自身の形而上絵画の革新性があると述べている(注3)。筆者はこの「生の無意味」という概念がデ・キリコの形而上絵画理論を理解する鍵と考えているが、これについては既に別の場所で詳細に考察を行っているので(注4)、ここでは要点のみを述べるに留める。デ・キリコは、1909年にミュンヘンからミラノへ移った後、フランス語訳でショーペンハウアーとニーチェを読んでいる(注5)。パリ時代(1911-1915年)に書かれた手稿におけるニーチェとショーペンハウアーの引用は、当時のフランス語訳からなさ
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