― 265 ―― 265 ―る点は『令規法』と同様である。『私記』が伝える作法は宋代寺院での規律を継承しており、日本でも入浴が仏道修行の一環として行われていた証左であるとの指摘がある(注18)。入浴という行為が中世日本の寺院において修行生活の一環として実践されていたことがうかがえる。現在でも禅宗を中心に寺院での食事は作法に則って行われるが、『禅苑清規』「赴粥飯」では起床して僧堂に入室し、着席、そして給仕や展鉢(食器を並べる作法)、食器の仕舞い方についてなど食事における一連の作法が詳しく述べられている。道元『赴粥飯法』は基本的な内容を『禅苑清規』に拠ってさらに修行僧の食事の作法を詳述しており、禅院で食事の仕事を司る典座について著した『典座教訓』と併せ、仏道修行における食事の重要性を説く(注19)。『私記』「二時食章」でも僧堂への入室作法に始まって、浄巾の扱い方や展鉢について詳しく述べられている(注20)。『瑩山清規』「日中行事」には「喫粥之法」として、魚鼓を入室の合図として、維那が槌を叩くにしたがって展鉢を行うことなどが記されている(注21)。『大鑑清規』には食事の際の動作への言及は見当たらないものの、「叢林細事」のなかで「斎粥二時」として、仏名を唱えることや焼香の作法など注意すべき事柄を挙げており、清拙正澄が住した建長寺や円覚寺、南禅寺等における修行生活の実態に即した内容と考えられる(注22)。清規の中には行事を季節ごとに羅列する形式のものも多いが、日常の修行に関する項目では、入浴や食事の作法が細かく規定されていることがわかる。このような修行生活が中世寺院において実際に行われていたとすれば、円覚寺本や東福寺本に描かれた僧院生活を送る羅漢という図様は、当時の修行僧にとって自身の日常に即した身近な画題として認識され、あるいは修行生活を正しく実践するための可視化された清規としても機能したのではないだろうか。前述したように、円覚寺本・東福寺本の五十幅五百羅漢図には、意図的な図様の再構成が認められる。拙稿で指摘したように大徳寺本「展鉢」では羅漢の前に並ぶ鉢は大小の順序が不統一だが円覚寺本・東福寺本では同じ順番に並んでいる(注23)。後者の図像は清規に則った鉢の並び順と一致しており、より正しく清規に基づいた修行生活として意図的な改変である可能性が高い。おわりに道元の著作に羅漢供養の実践に関する「羅漢講式」があるように、宋代仏教の影響を受けて中世寺院では羅漢信仰が新たな形で隆盛を見る。円覚寺本と東福寺本は、制作された場所や時代は異なるものの、中世の羅漢供養の流行を受けて輸入、あるいは
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