鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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注⑴各111.5×53.1、絹本着色。大徳寺本の概要については『大徳寺伝来五百羅漢図』(奈良国立博物館・東京文化財研究所、2014年)を参照。本稿における大徳寺本の各画幅の名称は本書にしたがう。― 266 ―― 266 ―制作された五百羅漢図と考えられる。両本の図様は大徳寺本のような百幅本五百羅漢図を継承して成立したものとされるが、その図様の選択、特に日常生活の描写には清規を取り入れた修行生活が実践されていたことが背景にあると言えよう。中世における大陸からの新たな仏教の流入は儀礼のみではなく、修行生活そのものであったことが絵画作例から読み取ることができる。⑵以下の拙稿で論じている。米沢玲「大徳寺伝来五百羅漢図について―僧院生活の描写と『禅苑清規』―」(『仏教芸術』創刊号、2018年、65-82頁)。⑶唐時代に百丈懐海(749~814)が編んだ『百丈清規』があったが、早いうちに散逸している。『禅苑清規』の成立については以下を参照。鏡島元隆「解説」(『訳註 禅苑清規』曹洞宗宗務庁、1972年、1-25頁)、椎名宏雄「『禅苑清規』成立の背景」(『印度学仏教学研究』53-1、2004年、149-157頁)、林徳立『中国禅宗叢林清規史の研究』(山喜房佛書林、2011年)、尾崎正善「『禅苑清規』解題」(『中世禅籍叢刊第六巻 禅宗清規集』臨川書店、2014年、646-652頁)。⑷円覚寺本と東福寺本については、以下を参照。梅沢恵「円覚寺所蔵五百羅漢図に関する研究―画中に描かれた人物像を中心に―」(『鹿島美術研究(年報27号別冊)』2010年、474-482頁)、仙海義之「明兆による中国画の学習―「五百羅漢図」東福寺本と大徳寺本との比較―」(『鹿島美術研究(年報18号別冊)』2001年、304-314頁)。⑸鄭美景「聖一派と明兆筆「五百羅漢図」の史的意義」(『禪學研究』97、2019年、1-16頁)。⑹現在の円覚寺では毎年10月に羅漢供が行われており、本図が掛けられている。⑺160.0×90.9、絹本着色、室町時代(『宋元仏画』神奈川県立歴史博物館、2007年)。⑻173.3×89.9、絹本着色。画面向って右下に金泥銘「沙弥増覺」が認められる。⑼円覚寺本は160.0×90.9、絹本着色、元時代(『宋元仏画』)。東福寺本は173.4×89.1、絹本着色。画面向って右下に金泥銘「明正」が認められる。⑽例えば円覚寺本・東福寺本「施財貧者」は、大徳寺本の同画題のほか「阿育王塔の放光」や「地獄への飛来」の羅漢が加えられている。図様の組み合わせについては注⑷仙海論文でも指摘されている。⑾『禅苑清規』以降にも、南宋時代に成立した『入衆日用清規』、『入衆須知』、『叢林校定清規総要』など多くの清規が編まれているが、栄西や道元が言及あるいは引用していることからも『禅苑清規』は大きな軌範になっていたと考えられる。⑿清規の展開については以下を参照。石井修道「『禅宗清規集』総説」(『中世禅籍叢刊第六巻禅宗清規集』臨川書店、2014年、739-756頁)。⒀「第八禅宗支目門者。按禅苑清規並大国見行式」(『大正蔵』80、14b)。⒁西谷功『南宋・鎌倉仏教文化史論』(勉誠出版、2018年)。⒂尾崎正善「翻刻・『慧日山東福禅寺行令規法』」(『鶴見大学仏教文化研究所紀要』4、1999年、55-75頁)。

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