鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 270 ―― 270 ―表情を浮かべている。弟子や信者たちの多くは側面を向けて描かれるが、仏教主題の作品としては特異なことに、登場人物の中にはわれわれに完全に背を向けている者もいる。彼らの群れは画面の奥に行くに従って淡い色彩と線描で描かれていき、人々の群れがどこまでも続いていくことが予感される。画面の大きさも相まって、その奥行きの表現は、悲しみを観者に伝える臨場感を持つ。一方、金棺や弟子たちの円光および彼らが身につける装飾品や衣装の文様などに金泥が用いられていること、また画面に散華が降り注いでいることからは、この場面の聖性を強調する意図が見える。本作は発表当時から、「(前略)釈尊涅槃の図は古来多く見るところなれど仏身の闍維の図に至っては観山氏の筆を以て嚆矢とす(注5)」と述べられており、この主題を単独で絵画化することの新しさが評価されていた。加えて、先学によって西洋美術からの影響がたびたび指摘されてきた。同時代の岡倉天心による言説の中でも、「観山の『仏陀の火葬』〔『闍維』〕は、平安朝の壮大な構図を思い起させるもので、宋代初期の力強く強調された輪郭とイタリアの画家にも劣らぬ立体感の表出ぶりによって、豊熟な味わいを加えている(注6)」と言及されている。近年では、柏木智雄氏がその群像表現について、ボッティチェリの「東方三博士の礼拝」(ウフィツィ美術館蔵)などを参照した可能性を指摘している(注7)。観山という画家自身は、生前には大観、春草とともに岡倉天心門下の三羽烏と称されていたが、後世の美術史研究においては二人に比して等閑視されてきた向きがある。しかし、近年には大規模な回顧展が開催され、個別の作品研究も進展しつつある(注8)。本論では発表当時から高く評価されていながら詳しい研究がなされなかった観山筆「闍維」について、まず図様の影響源を探り、次に忠孝の概念との関わりという観点から画題の選択理由を考察する(注9)。2-1.荼毘の図様の系譜「闍維」は、釈迦が涅槃に入った後、その亡骸が入れられた棺が燃やされるという場面が描かれており、その事蹟は仏伝のなかで荼毘と呼ばれる。本章ではまず日本絵画史上における荼毘の図様の系譜を確認するが、荼毘の場面が単独で描かれている作例は、管見の限り見つからない。荼毘の場面が描かれるのは、仏伝図の中でも、涅槃変相図や仏伝涅槃図の中においてである。日本に伝わるこれらの作例について渡邉里志氏が体系的にまとめた研究がある(注10)。氏によれば、それらは先学では特に定義されてこなかったが、正確には、涅槃変相図は釈迦の入滅の情景と入滅の前後に起こった事蹟が描かれたもの、仏伝涅

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