― 272 ―― 272 ―8〕に行き当たる(注17)。その資料は、西洋の名画や建築物を中心とする世界の美術品の写真が地域および美術館名ごとに25冊に分けて冊子形式でまとめられているもののうちの一つで、それらの資料の中には写真の表面に「観山蔵」の陽刻があるものや〔図9〕、裏面に鉛筆で「下村」と書かれているものがあり〔図10〕、観山が所有していたと伝えられている。ただし所有していた年代や正確な来歴は分かっていない。また、この写真には「観山蔵」の陽刻はなく、裏面にも書き込みがない。写真の原図はアッシジにあるサン・フランチェスコ聖堂下院のヴォールト式天井の4区画にそれぞれ描かれている4場面のうちの一つである。4区画には聖フランチェスコが設けた戒律であり同教団の基本理念である「貞潔」・「清貧」・「服従」と、「聖フランチェスコの栄光」が描かれ、ヴァザーリ以来、それはジョットの作とされてきたが、今日では工房作であるとされている(注18)。このうち観山蔵とされる写真資料にあるのは「服従」の区画で、図様を見ると、そこでも画面中央の人物がひざまずいて目の前の人物に向かっている。反転させるとよく分かるように〔図11〕、ポーズの意味するところは違えど、形態は近似している。観山が他の日本画家と同様に、西洋美術に対して強い関心を示していたことはよく知られている。観山の言葉に、 日本画の人物のエキスプレッションは極めて不完全で、陰影や色合で之を示すとは到底西洋画に及びません。日本画は何處までも線がきでその特色を発揮せねばなりません。随分困難ではありませうが及ばずながら我々も勉めるつもりです。(中略)しかし何しろ西洋画の善いものには、感じ、心もちが十分出て居ッて其れで細かい部分の形とか色とかいふものもよく整つて居るのですから、日本画は今の處では到底及びません。(注19)と述べているものがあり、この言論は先学でたびたび引用されているものだが、画家の西洋美術に対する傾倒ぶりがうかがえる。また、明治30年(1897)の第三回日本絵画協会絵画共進会に出品された、観山による「嗣信最期」(東京藝術大学蔵)〔図12〕に対しては、美術雑誌によって「なあにこれは基督を十字架から下ろしたところを描いた西洋の図を、佐藤嗣信に翻訳したんだとか申すことでございますよ(注20)」と揶揄まじりに批評されている。西洋美術に範をとるというこの画家の制作姿勢は当時の世間にも知られていたと言える。また、ジョットが当時の美術界でその名が知られた存在であったことは、偶然にも、
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