注⑴ 中野玄三『涅槃図』(日本の美術298)至文堂、1988年、17頁。⑵ 金容澈「菱田春草の作品における伝統―「拈華微笑」を中心に」『鹿島美術研究年報』第15号⒁ 注⑽前掲書、276頁。⒂ 注⑽前掲書、353頁。⒃ 高山林太郎著、下村観山挿絵『釈迦』博文館、1899年。― 275 ―― 275 ―⑶ 中野慎之「明治後期の日本画における仏教―岡倉覚三の構想と観山・大観・春草―」『京都府⑷ 佐藤志乃「横山大観と菱田春草の渡印後の作品について 菱田春草の〈乳糜供養〉を中心に」『芸術学研究』(筑波大学大学院芸術学研究科紀要)3号、1999年、37~44頁。成原有貴「勝田蕉琴「出城釈迦」の特質と意味に関する考察」真鍋俊照編『仏教美術と歴史文化』法蔵館、2005年、549~569頁。⑸ 著者不明「闍維(下村観山氏筆)」『日本美術』1号1898年、6~7頁。⑹ 岡倉天心著、佐伯彰一訳「東洋の理想」『岡倉天心全集』平凡社、1980年(初出明治36〔1903〕⑺ 柏木智雄「下村観山の晩年―画業再検討のための覚書―」展覧会図録『生誕140年記念下村⑻ 2013年に横浜美術館において『生誕140年記念下村観山展』が開催された。また近年における下村観山の作品研究の成果として、椎野晃史「下村観山筆「魔障図」をめぐる考察―近代白描画試論―」(『美術史』178号、2015年、350~366頁)が挙げられる。⑼ 本作において観山が新たな図像を作り出した動機については、拙論「日本近現代における仏伝図」(『マンガ/漫画/MANGA─人文学の視点から─』神戸大学出版会、2020年、94~109頁)でも論じている。⑽ 渡邉里志『仏伝図論考』中央公論美術出版、2012年。以下、涅槃変相図および仏伝涅槃図の分⑾ 同上書、270頁。⑿ 同上。⒀ それらは渡邉氏以前の菊竹淳一氏の研究で、15世紀以前に描かれた高麗仏画およびそれに影響を受けて日本で制作されたものであると結論付けられる。 菊竹淳一「高麗時代の涅槃変相図―香川・常徳寺本を中心に―」『大和文華』80号、1988年、17~35頁。様はキリスト教美術を参照し、また主題の思想的背景として多様な概念を内包しようとしたとすれば、古画からの影響の色濃い「仏誕」からの表現手法としての発展を見ることができる。このことを考えると、様々な画家によって描かれた仏伝図という主題が、観山にとっては、自身の思想および古今東西に渡る美術研究の成果を反映させるための媒体として機能していたと言うことができるのである。別冊、1998年、340~351頁。埋蔵文化財論集』第7集、2016年、355~378頁。年)、117頁。観山展』横浜美術館ほか、169~173頁、2013年。このほか、濱中真治「作品解説下村観山闍維」(『国華』1234号、1998年、43~44頁)においても、本作の西洋美術からの影響が指摘される。類、それぞれの特性についての記述は氏の研究に拠る。
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