木村武山「下村さんの若い頃」『塔影』12巻7号、1936年、47~48頁。 雲照律師「仏教衰退の原因」『太陽』第3巻第5号、1897年、174頁。 注前掲書、70頁。 著者不明「井上文学博士よりの書翰」関皐作編『井上博士と基督教徒』正・続、みすず書房、― 276 ―― 276 ―⒄ 現在は横浜美術館美術情報センター所蔵。友部洋子氏寄贈。また、この資料については、八柳サエ「下村観山の滞英時代について-《ダイオゼニス》考」『横浜美術館研究紀要』第5号、2003年、53~73頁、および、柏木氏注⑺前掲論文においても言及されている。⒅ 佐々木英也『ジォット』(世界美術全集1)集英社、1977年、124頁。⒆ 著者不明「画界新彩 下村観山氏」『早稲田文学』5号、1898年、139~140頁。⒇ 無扉門「批評 下村観山嗣信最期」『美術評論』9号、1898年、21頁。 訳者不明「フェノロサ氏の日本絵画論」『日本美術』3号、1898年、42頁。 フェノロサによる原文の全文が『日本美術院百年史』二巻下〔資料編〕日本美術院、1990年、 山下重民「論説 第二回絵画共進会を評す」『絵画叢誌』123号、1897年、1~2頁。 末木文美士『近代日本の思想・再考Ⅰ 明治思想家論』トランスビュー、2004年、70頁。 同上書、269頁。 岡倉天心「日本美術史」『岡倉天心全集』第4巻、平凡社、1980年、18頁(明治23年より3年 横山大観は著書『大観画談』において、「屈原ですが、あれは私の解釈が誤つてゐたかどうか知りませんが、あの頃の岡倉先生が、ちやうど屈原と同じやうな境遇にあつたのではないかと思ひ、あの画題を選んだのです。」と語っている(講談社、1951年、44頁)。 塩谷純「作品解説 小堀鞆音 恩賜の御衣」『国華』1234号、1998年、39~41頁。図版出典図1、3 展覧会図録『生誕140年記念 下村観山展』横浜美術館、2013年。図2 展覧会図録『菱田春草展』東京国立近代美術館、2014年。図4、5 奈良国立博物館編『仏教説話の美術』思文閣出版、1996年。図6、8、9、10、11 著者撮影。図7 『国立国会図書館デジタルコレクション』 最終アクセス:令和2年5月11日 (https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816546)図12 展覧会図録『下村観山―その人と芸術―』和歌山県立近代美術館、1981年。691~697頁に、鶴岡厚生氏によるその全訳文が同書280~288頁に掲載されている。間にわたって行われた東京美術学校での講義による)。1988年、105頁。なおこの論ははじめ雑誌『天則』7号(明治31年)に掲載された。
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