鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 284 ―― 284 ―(1068~77)において有心から無心へと変化し、それに伴い字径が拡大したことが指摘されているが(注18)、顔真卿はそれ以前に活躍したため有心構造の筆を用いたと考えられる。紙巻の有無は不明であるものの、筆毫の中心に剛毛があり、その周囲に性質の異なる毛が厚めにまとわれていたと思われる。現在、絵画の線描筆として販売されている削用筆が近いであろうか。・ 字径の違いにより、書体・書風に一定の傾向が現れる。手指の運動や執筆体勢を・ 紙表面の平滑度の変化は運筆の難易に関わり、特に平滑さが失われると、字の拡前述の執筆体勢と削用筆は、相互に書きやすさに寄与しており、また上記の字形の特徴が現れて視認性も向上するようである。求められる字径と、無理のない執筆体勢、そして用具の関連からかような名筆が現出したが、後世においてはその字形のみが注目されるようになり、その再現が困難であることからより注目されるようになっていったのかもしれない。また、筆押さえはその発生理由が忘れられたために、上述のように文字情報・教育などの分野において混乱が続いているものと考えられる。5.想定される書体・書風の変遷の要因について―むすびにかえて―以上、書体・書風に影響を及ぼす字径・紙絹・執筆体勢について、いささかの考察を加えてきた。まとめると、以下のようになろうか。変化させることで、書きやすさと視認性の双方を追求した結果と考えられる。大化に繫がったと思われる。高度な影印技術がなく様々な字径で書した近代以前では、特定の様式のみを強く理想としていなかったと見られ、前述Aのように、自然に書くなかで字を目立たせていくという意識によって書体・様式の変遷がもたらされたことを示すものとなろう。名品と仰がれる書跡が生じて様式が典型化(また忘却)されるに至った状況は、前述Bのような、大字に慣れ、かつ字形に注目したことによる書写運動の一定化にあろう。形づくる意識を助ける画仙紙などのにじむ紙の登場も、その傾向を助長したものと見られる。名筆に近い書風が書かれ典型化することで充足し、名筆が生まれる素地が当面の間、失われていくという経緯が想定されよう。今後の書道史研究においては、手の繊細な働き、即ち「手業」や「身体性」ともいうべき側面に目を向け、例えば、現在普遍的に行われている拡大書写(臨書)を基本とする書道教育の見直しにも繋げていく必要があろう。また、将来的には、教育学(いわゆる「わざ言語」の開発など)、運動学(指・上股運動)、絵画史(水墨・文人画)研究などともその成果を還元しあうことによって、より確かな理解が進むものと期待

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