注⑴杉村氏『書苑彷徨』二玄社、1981、3~19頁所収。⑵福田氏担当執筆「書体史」墨編集部編『教えて先生! 書のきほん』芸術新聞社、 2011、28~39― 285 ―― 285 ―される。そのためには、科学的な計測方法を確立し、更に厳密に検討する必要もあろう。また、書道理論(書論)へのより深い理解にも繋げられよう。稿者は、過去に明代末期の書論を扱ったが、長条幅出現当時には字径に対する言及が少なからず確認できる。書論は、書体・書風と同じく時代によって浮沈があり、その内容も難解なものが多いが、これらの関係の詳細を窺うことで、双方の理解に繋げていきたい。頁。⑶松村氏「王羲之はなぜ「書聖」であり続けるのか?」松村氏『書を探る』アートダイジェスト、2000、12~31頁。⑷菅野智明「筆写文字資料の影印に対する近代的認識の一斑」『中国近現代文化研究』第15号、中国近現代文化研究会、2014、51~85頁。⑸「生宣紙盛行則画学亡、書并随之。……画用生宣、盛于八大(山人)・石涛。自後学者風靡従之、堕入悪道、不可問矣」。呉湖帆「梅景書屋雑記」周黎庵主編『古今』第39期、古今出版社、1944、12~14頁による。⑹石川九楊『筆蝕の構造―書くことの現象学―』ちくま学芸文庫、筑摩書房、2003。⑺劉正成編『中国書法全集』第56巻 黄道周 附蔡玉卿、栄宝斎出版社、1994の傅紅展氏による「3旅雁蒼生在五律詩軸」解題参照。なお、「書答孫伯観詩」(澄懐堂美術館蔵)は後年の作風を示しながら、当該の落款印の組合せとなっている。印文の字形や印色が異なることから後世において捺印された可能性も考えられる。⑻画像権利の問題からこの2点のみを扱うが、同上書『中国書法全集』第56巻に代表作品が収載されているため、参照されたい。⑼吉澤太雅「陳淳の狂草書の特質について―上海博物館蔵「草書岑参詩軸」を中心に―」『書芸術研究』第6号、2013、41~50頁。⑽増田知之「明代嘉靖―万暦年間の江南地方における法帖刊行の実態とその変遷―」『東方学』第118輯、2009、61~79頁、楚黙「明代私帖興盛的原因・価値及意義」『書法』総216期、上海書画出版社、2007、23~27頁参照。⑾なお、当該時期の書においては、既に白謙慎『傅山的世界―十七世紀中国書法的嬗変』石頭出版社、2005などの論考があるように、篆書の骨格に則った異体字(「睂」=眉、「」=申など)が多く用いられる 。それらは、細字においても同様であるが、画数の多さと見た目の異様さは、特に条幅書において効果的である。書道史上では、手の絵を点画に取り入れた、一字が1mに及ぶ北斉の「徂徠山摩崖」、また、伝・空海筆「真言七祖像賛」(国宝・教王護国寺蔵)に見られるような飛白体もあり、これらの存在に鑑みれば、字を目立たせ、かつ装飾を加えるための手段であった可能性も想定される。更には、大師流や、王鐸「草書詩書巻」(東京国立博物館蔵)などの浪漫派の巻子作品のように、大字で生まれたかような表現は細字にも定着していったと見られるが、この傾向については今後の検討としたい。
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