― 294 ―― 294 ―る(注18)。しかしその彩色は、全体に淡い色彩であった19区の装飾応募作に由来するものであった。また《若年期》とともに1886年のサロンに出品された《家族》にも、レヴィが以前に描いていた子供たちの図像が利用された(注19)。本調査で《栄光》の出品が明らかとなった1887年のサロンでは、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌのソルボンヌ大学講堂壁画下絵やアルベール・ベナールのパリ1区庁舎婚礼の間装飾画《冬/人生の夜》といった公共装飾画に注目が集まっていた。偶然にもいずれも「若さ」と「老い」のテーマを含む、この両者の作品に比べればレヴィの《栄光》に言及した評は限られる(注20)。アヴァールによると《栄光》は、灰色の色調で簡単に仕上げられた状態で出品されており(注21)、『レヴェヌマン』紙では「棕櫚を授けられる人物の一人は鎧を身に着け、一人は竪琴を持つ。その寓意は思い出せない」(注22)と書かれた。ただし「繊細な寓意」や「優雅さ」を評価し今後の期待を示す者もおり(注23)、保守的な美術批評家ポール・マンツが、「パッシーの住民は、もうじきレヴィが『栄光』をどのように表現するかを知れるだろう」(注24)と取り上げたことは区庁舎装飾としての一定の存在感が示されたことを証する。4.古代ガリアの表象レヴィの《栄光》と同時期の区庁舎装飾で古代ガリアの主題を扱った、フランソワ・ショメールのパンタン庁舎祝祭の間天井画《栄光ある過去》(1886年)〔図11〕では、有翼の鉄かぶとを付けたマルス神と雄鶏によるガリアの暗示が、対パネルのアルザスを示す女性像により強調されている。レヴィ自身は1863年のサロン出品作《カエサルに降伏するヴェルサンジェトリクス》(注25)で、ローマ帝国に征服されるガリアの英雄という帝政期らしい主題を扱っていた。サロンにおけるガリア主題の変遷を論じたジャゴによれば、1850年代にガリアの英雄像が、また1860年代にローマ化されたガリアを表す歴史主題が美術に登場する(注26)。古代ガリアの主題は、帝政期のボナパルティストと共和派の政治的主張にそれぞれ結びつき、第三共和制期に入るとガロ=ローマの「婚礼」すなわち統合と祖国の防衛の二つの方向性で維持された。その後、保守派の台頭する1880年代半ばに増加したのが匿名の太古のガリア人、つまり漠然とフランス国家の起源を喚起する表現である。前章で述べたように、19区庁舎のためのレヴィの連作は、そのガロ=ローマの情景の表現が高い評価を受けた。1880年前後の区庁舎装飾画には他にも複数の古代ガリアの主題の作例がみられる。モロー・ド・トゥールによる2区庁舎の婚礼の間装飾画連
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