鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 295 ―― 295 ―〔謝辞〕本研究にあたっては、区庁舎装飾の目録整備を現在進めているパリ市学芸課のLouise Delbarre、Agnès Plaire両氏をはじめ各庁舎と資料館の方々にご協力いただき、天野知香教授よりご推薦と貴重なご助言をいただきました。ここに記し、心より感謝申し上げます。作《結婚》、《祖国のための犠牲》〔図12〕、《家族》は、「古のガリアの歴史に着想を得」(注27)、審査でその「豊かな表現力」(注28)を評価された。ギュスターヴ・ブーランジェによる13区庁舎婚礼の間装飾画連作「市民の美徳」の《祖国》〔図13〕は、ヴェッスが指摘したように、祖国の防衛を担うガリアの兵士たちが出発してゆく戦場を覆った雪の描写により、1870年のパリ包囲を暗示した(注29)。同じく連作の一部《結婚》もモローと同様にガロ=ローマの婚礼を描き、美術批評家フィリップ・ビュルティが1880年のサロン評で「古代風の布をまとった人物の顔に当てはめられた同時代の著名人たち」(注30)を挙げたように、近代フランスのメタファーとして機能した。モローとブーランジェの区庁舎装飾下絵が出品された1880年から1882年のサロンには、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌの「祖国のための競技」の主題の絵画も出品されている。後にアミアン美術館壁画となるこの主題も同じく普仏戦争後のフランスの状況を暗示するものであった。上述の1880年のサロン評でビュルティは、区庁舎等の装飾の役割である民衆教育にこそ国家による芸術庇護の意味があると述べた(注31)。1879年のコンクールでは小学校装飾の審査も行われ、ディオジェーヌ・マイヤールの連作「フランス史の主要な出来事」のうち「カエサルとヴェルサンジェトリクス」〔図14〕が注目されている(注32)。その表現は、「学校装飾はフリーズの形態で、ごく簡潔に、肉付けを施さず、初歩的な色彩を用いるべきであり、畑仕事や職人仕事、愛国的歴史的名場面、そして市民生活の重要な局面が含まれる」(注33)というコンクールの指針に沿うものだった。このように同時代の作品に照らしてみると、レヴィの《栄光》はショメールの《栄光ある過去》と同様、1880年代半ば、それまでの「祖国ガリアの防衛」もしくは「ガロ=ローマの婚礼」の場面描写に代わり、漠然と古代ガリアの「栄光」を想起させることで第三共和制フランスを称揚する、新たな表現が現れたことを示す作例であることが確認出来る。それはまた当時の区庁舎装飾に求められた、極端なレアリスムを避けながらも同時代の人々の生活に繋がり、普遍性を保つ人生の諸段階の主題に相応しいフランスの表象のあり方であったといえるのではないか。

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