― 301 ―― 301 ―㉘ 久隅守景筆《舞楽図屏風》の研究研 究 者:筑波大学大学院 人間総合科学研究科 博士後期課程 日本学術振興会 特別研究員DC はじめに本研究の目的は、江戸時代前半期に活躍した画家久隅守景(生没年不詳)による《舞楽図屏風》(根津美術館、以下、守景本と呼ぶ)〔図1〕の画面の特徴に着目し、守景の作品としての位置付けと、舞楽図としての制作目的について考察することである。守景本は、紙本着色、六曲一双の本間屏風で、右隻右端には水平に引かれた幔幕越しに大太鼓、大鉦鼓と楽人、中央に舞楽の曲目秦王破陣楽の舞人が並び、左隻には二人舞の納蘇利と一人舞の陵王、そして左端には幔幕越しに楽人と大太鼓が描かれている。人物は大ぶりながらも細部まで緻密に描かれている。特に秦王破陣楽の面や甲、鎧には胡粉で盛上げた上に金泥が贅沢に使われており〔図2〕、これは注文主の財力と想定された鑑賞者の身分の高さを物語る。舞楽とは、中国や朝鮮から伝来した楽舞が8世紀に日本古来の歌舞と共に制度化され、それ以来国家の儀礼を荘厳するものとして現代まで継承されているものである。舞楽の曲目にはそれぞれ由来があり、秦王破陣楽は唐の太宗が戦いによって国を平定したこと、納蘇利は二匹の龍の舞、陵王は北斉の蘭陵王長恭が美麗な顔貌に面を付けて兵士を鼓舞しながら戦いに臨んだことに由来する。守景本についてはこれまで、飯島勇氏に「絢爛たる調度的装飾画」と評され(注1)、榊原悟氏には、「守景筆」の落款について疑問は残るとされながらも、精緻な描写や人物の面貌表現は守景作品と認めるに充分な特色であると述べられている(注2)。また、辻惟雄氏には、江戸時代の狩野派内において写し継がれた可能性がある同じ構図、同じ図様の舞楽図屏風の定型を破るべく工夫をしていると述べられている(注3)。守景の画業については不明な部分が多いが、これまで様々な作品の位置付けが行われてきた。守景本について画面の特徴や同時代の舞楽図屏風との相違点に着目していくことは、作品の位置付けに加え、制作年代を推測させる手がかりとなるのではないだろうか。さらに守景本は、幕末に鳥取藩国元に保管されていたことが山下真由美氏によって明らかにされており(注4)、制作背景に鳥取藩やその周辺と関連する可能性がある。以上のことから本研究では、守景本の作品としての位置付けをおこない、その上で、古 谷 美也子
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