鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 304 ―― 304 ―比較的早い時期とみられる個人A家所蔵の作例から、これらをA家本系諸本として図様の展開を考察している(注15)。A家本系のうち制作年が明らかなのは、寛永13年(1636)に日光東照宮において営まれた徳川家康二十一回忌法要の際に奉納された《舞楽図屏風》(日光山輪王寺、以下、輪王寺甲本と呼ぶ)〔図8〕と、寛文7年(1667)の出雲杵築大社造替遷宮に際して奉納された、狩野安成筆《舞楽図屏風》(出雲大社、以下、安成本と呼ぶ)である。輪王寺甲本には狩野派の画風が見られ、狩野安成(生没年不詳)は松江在住で狩野安信(1613-85)門下と伝えられている。この安成本について西岡和彦氏は、出雲大社神職である佐草自清(1615頃-95)が禁中の舞御覧の際の楽屋に立てられた屏風と同じものを制作させ舞楽復興を目指したという記述が、自清の『雑事随筆』(國學院大學図書館)にあることを指摘している(注16)。寛文期(1661-73)、A家本系は宮中の舞楽図屏風と同じ図様であり、天皇や公家が目にしても不都合ないものという認識があったといえよう。守景本に描かれた舞人の姿は、このA家本系の図様を手本としている。だが、楽人が演奏する楽器は、異なる手本を用いた可能性が高い。例をあげれば、守景本の右隻第一扇の楽人は、縦長の木の板を重ねて束ね要の部分を紐で綴じた楽器を首から下げている〔図4〕。舞楽で演奏される楽器は、大太鼓、大鉦鼓、笙、篳篥のほか横笛、鞨鼓、三ノ鼓等であり、A家本系でもそうした楽器が描写されている。ところがここで指摘する楽器はこれらとは異なるもので、同時代の舞楽では使われていない拍板であるとみられる。拍板は中国由来の打楽器で、絵画においては平安時代以降の来迎図などによく見られる。例として、12世紀末の制作とされる《阿弥陀聖衆来迎図》(有志八幡講十八箇院)の左幅で菩薩が演奏する楽器の一つとして描かれている。また、12世紀以前の成立で、原本は中国で成立した可能性も指摘されている《舞楽散楽図》(陽明文庫)中の「立奏楽人群図」にも見られる(注17)。形状は円形、あるいは楕円形で両側に柄がついたものなど様々だが、守景本の拍板は来迎図からの直接の引用とは考えにくく、別の手本を参考にした可能性がある。また、左右隻の楽人が演奏する笙は、吹口から吹管が出ており、楽人はこれを口にくわえて息を吹き込んでいる〔図3〕。笙も拍板と同じく中国から伝来した楽器で、奈良の正倉院には嘴状の細い吹管がついた、笙よりもやや大型の竽が所蔵されているが、平安時代にはすでに吹口から直接息を吹き込む形状であった。A家本系から舞人の図様を引用しながら楽器は古様なものを描いていることは、守景による意図的なも

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