注⑴飯島勇「久隅守景の人と藝術」『MUSEUM』第24号、東京国立博物館、1953年、19-25頁。⑵榊原悟「久隅守景の落款印章をめぐって―作品編年のための一試案―」『群馬県立女子大学紀― 307 ―― 307 ―を提示する。そして、曲目については、紀伊や尾張の東照宮祭礼と関連付けることができ、さらには将軍家の舞楽を象徴するものであったと考察する。江戸時代前期、舞楽は宮廷から武家の儀礼へと広まった。守景本は、武家にとっての舞楽を象徴し、さらには画家の独自性が加えられるという、舞楽図の新たな展開を示す一例といえるだろう。要』第21号、群馬県立女子大学、2000年、39-66頁。⑶辻惟雄氏は、平安時代から江戸時代前期までの舞楽図の系譜をまとめ、同構図、同図様の図譜的な舞楽図屏風の作例について考察している。辻惟雄「舞楽図の系譜と宗達筆「舞楽図屏風」」『琳派絵画全集宗達派一』日本経済新聞社、1977年、69-80頁。同「舞楽図屏風について」『日本屏風絵集成12風俗画―公武風俗』講談社、1980年。⑷山下真由美「『御国残り御道具根帳』翻刻」『島根県立博物館研究報告』第52・53号、島根県立博物館、2016年、35-68頁。⑸守景の画業については主に以下を参考とした。小林忠・榊原悟『日本美術絵画全集16 守景/一蝶』集英社、1982年。松嶋雅人『日本の美術 久隅守景第489号』至文堂、2007年。⑹土居次義「知恩院の障壁画」『障壁画全集 知恩院』美術出版社、1969年、96-135頁。⑺土居次義「久隅守景と障壁画」『史迹と美術』157号、史迹美術同攷会1944年(『近世日本画の研究』所収、美術出版社、1970年)。木村重圭「聖衆来迎寺(大津市)の障壁画(上・中・下)―狩野探幽・狩野尚信・狩野信政・久隅守景―」『日本美術工芸』第628-630号、日本美術工芸社、1991年。⑻前掲注⑺、土居氏。⑼福井利吉郎「守景の年代」『日本美術工芸』第131号、日本美術工芸社、1949年、5-19頁。⑽前掲注⑺、土居氏。⑾吉澤忠「久隅守景筆 十六羅漢図」『国華』第833号、国華社、1961年、374-375頁。⑿松嶋雅人氏は、狩野安信による羅漢図が守景の羅漢図とほぼ一致することをあげ、守景が狩野派の画家達の間での同主題の共通の粉本を参考にしていることを指摘している。前掲注⑸、松嶋氏、22-23頁。⒀池田芙美「久隅守景の魅力―身近なものへ寄り添うまなざし」『逆境の絵師 久隅守景 親しきものへのまなざし』及び作品解説、サントリー美術館、2015年、8-15頁。⒁前掲注⑸、松嶋氏、65-74頁。⒂本田氏は先行研究で挙げられた他に新たに作例を加えA家本系諸本として、個人A家、日光山輪王寺A・B(甲・乙)本、日光東照宮、狩野安信、狩野永納、英一蝶、俵屋宗達の作例について詳述している。本田光子「近世前半期における舞楽図屏風の成立と展開―桃翁筆本・A家本を中心に―」『東京藝術大学美術学部論叢』第4号、東京藝術大学美術学部、2008年、1-30頁。さらに狩野安成筆本が知られ、大正期の売立目録にも確認できる。⒃西岡和彦『近世出雲大社の基礎的研究』大明堂、2002年、25頁。
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