鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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注⑴Giorgio de Chirico, “Sans titre (rêve),” in: La révolution surréaliste, no. 1, 1 décembre 1924, p. 3,文献略号De Chirico (1985): Giorgio de Chirico, Maurizio Fagiolo (ed.), Il meccanismo del pensiero. Critica, polemica, autobiograpfia 1911-1943, Einaudi, Torino, 1985.reprinted in: De Chirico (1985), p. 259.⑶Giorgio de Chirico, “Noi metafisici...,” in: Cronache dʼattualità, febbraio 1919, reprinted in: De Chirico⑹De Chirico (1985), p. 22.⑺Frédéric Nietzsche, Henri Albert (tr.), La volonté de puissance: Essai dʼune transmutation de toutes lesvaleurs (études et fragments), t.1, Mercure de France, 1903, pp. 46-47. 邦訳対応箇所は以下。フリードリッヒ・ニーチェ著、原佑訳『権力への意志』ちくま学芸文庫、上巻、1993年、69-70頁。⑻Giorgio de Chirico, “Sullʼarte metafisica,” in: Valori plastici, vol. 1, nos. 4-5, aprile-maggio 1919, p. 16,reprinted in: De Chirico (1985), p. 86.― 20 ―― 20 ―の理論的根拠であるショーペンハウアーとニーチェは、フロイトの精神分析の「先駆者」でもあり、三者の思想的系譜から、形而上絵画と精神分析の親和性を理解することができる。ショーペンハウアーとニーチェに基づくデ・キリコの「生の無意味」の認識は、世界から形而上的外部を取り去ることによって、これを自我の非理性的な欲望の働きとしての無限の解釈、投影の場に変える。ここに欲望の理論としての精神分析との接点が生じる。本論冒頭に引用したデ・キリコの夢の記述は、明瞭に精神分析におけるエディプス・コンプレックス的葛藤を示しており、同時にこの葛藤が形而上絵画のイメージと結びついていることも示している。形而上絵画が「生の無意味」、「神の死」の絵画であればこそ、それが父殺しの舞台となるのはある意味で当然であるとも言える。だが結局のところ抑圧された父殺しの願望は、反動として父との過剰な同一化へとデ・キリコを導くことになる。父と争う息子のイメージ〔図3〕は「放蕩息子の帰還」のテーマへと回収される〔図4〕。つまり、デ・キリコの「技術への回帰」とは、古典絵画の「父たち」のもとへの同一化であるとも言えるだろう。⑵谷藤史彦「ジョルジョ・デ・キリコとシュルレアリスムの乖離」『鹿島美術財団年報』第14号、鹿島美術財団、1996年、108-123頁。(1985), pp. 68-69.⑷長尾天「デ・キリコの無意味」『イヴ・タンギー ─ アーチの増殖』水声社、2014年、77-104頁。⑸Paolo Baldacci, Susan Wise (tr.), Giorgio de Chirico: La métaphysique 1888-1919, Flammarion, Paris,1997, pp. 39-40, 67, 84 (n. 26), 92-93, 108 (n. 36, 38).⑼ジグムント・フロイト著、懸田克躬訳「自己を語る」『フロイト著作集 第4巻』人文書院、

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