― 312 ―― 312 ―㉙ ピカソ「青の時代」の絵画に隠された制作のプロセス研 究 者:ポーラ美術館 学芸課長 今 井 敬 子はじめに本研究では、パブロ・ピカソ(1881-1973年)の「青の時代」(1901-1905年)の油彩画を対象に、自作の絵画または他の画家の手による絵画のカンヴァス等を再利用(リサイクル)し、描き直しを行った作例を調査した(注1)。ピカソは、1907年に有力な画商と契約を締結するまでは経済的な余裕を得られず、自身の旺盛な制作意欲に釣り合うほど十分な画材を購入できなかったことはよく知られている。しかしながら、画家の困窮は、彼が支持体をリサイクルした理由と動機を解き明かす要因の全てとは言い難い。ピカソがリサイクルをした結果、複数のイメージが一枚の支持体に重ねられ、封じ込められた状態の作品群が残されており、とくに1900年頃から「青の時代」にかけての制作に、その作例が数多く認められる。リサイクルの例は全画業にわたるため、本研究では、ピカソ研究の全体に関わる問題を射程に捉えた上で、その起源に相当する「青の時代」に焦点を当てることとした。リサイクルの調査では、実作品に接してはじめて、重ねられたイメージと制作のプロセスの究明が可能となる。21世紀に入り、研究者(美術史研究者、コンサヴェーター、科学者)による科学調査が活発化する傾向にある。光学調査等の非破壊調査のほか、絵具層のサンプル分析が実施され、画面の下から表面と異なる構図の画像や異なる色彩の層が存在することが報告されている。本調査はその恩恵を受け、着手されたものである。筆者は研究の基盤として、国内外の美術館および研究者の協力を得ながら、対象作品を可能な限り実見し、来歴・出品歴に関する文献資料、科学的研究の調査報告資料に当たるよう努めた。本稿では、現在もなお進行中の研究報告として、ピカソのリサイクルにおけるいくつかの手法のパターンと傾向をまとめた。それらをピカソの制作のプロセスにおける描き直しの「プラクティス」(実践・習慣)として定義し、ピカソの作品研究を進める上で、有効な手掛かりとなるよう提示する。調査対象調査対象は、ピカソの「青の時代」(1901年秋頃から1905年春頃まで、画家が20歳から23歳までの期間)に制作された油彩画99点とし、情報収集を実施して、研究の基盤となるデータベースを編んだ。対象作品は、ピエール・デ他編著のカタログ・レゾ
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