⑷ 同前掲注⑶。⑸ 同前掲注⑴。榊原浩逸と綾子については松浦氏による詳細な調査が行われており、本稿もそれ― 331 ―― 331 ―⑵ 榊原蕉園「私の今日あるは全く師の賜」『婦人画報』38号、1910年2月1日。⑶ 池田蕉園をはじめ女性画家たちが婦人雑誌などのメディアに数多く取り上げられたことについては以下にて報告している。拙稿「婦人雑誌にみる文展美人画の女性受容者―鑑賞・美容・制作」『美人画の諸相─浮世絵・団体・メディア─「浮世絵・挿絵系出身の日本画研究団体に関する総合的調査研究」関連研究成果報告書』篠原聡、2016年4月、「美人画にみる理想の女性美─文展期の婦人雑誌をめぐって」『マキエ』37号、ポーラ文化研究所、2017年12月。⑹ 澤田撫松「閨秀画家 榊原蕉園女史」『婦人画報』9号、1908年3月1日、28-31頁。⑺ 同前掲注⑴。⑻ 同前掲注⑹。⑼ 『女子学院50年史』女子学院同窓会、1928年、242頁。⑽ 『明治44年 同窓誌』女子学院、1912年、6頁。⑾ 『大正6年度 同窓誌』女子学院、1918年、43頁。⑿ 『大正7年度 同窓誌』女子学院、1919年、6頁。⒀ 「筆の花(二)」『婦人画報』1915年5月。⒁ 2020年3月7日、吉村資子氏自宅にてインタビュー(聞き手:山本由梨)。⒂ 同前掲注⑴。⒃ 荒井寛方『阿弥陀堂雑記』鵤故郷舎、1943年9月、230頁。⒄ 榊原浩氏(蕉園の弟・為政の息子)から松浦あき子氏への手紙より(1987年5月20日付)。⒅ 同前掲注⑴。⒆ 『水田コレクション名品選』城西大学水田美術館、2011年、101頁に掲載の《桜下美人図》〔図6〕の作品解説には、「蕉園は夢見るような憂いをおびた美人画で人気をはくした」と記され、『水野美術館名品集』水野美術館、2017年、209頁に掲載の《貝あはせ》〔図9〕の作品解説(高田紫帆著)には、本作に描かれる女性が「物憂げな表情」をし、「どこか儚げな雰囲気を醸し出している」と記される。⒇ 上村松園『青眉抄』六合書院、1943年、248-240頁。図版出典図2 帝国美術院第9回美術展覧会絵葉書図3 山種美術館編『美人画の誕生』山種美術館、1997年図10 山種美術館編『松園と華麗なる女性画家たち』山種美術館、2015年図14 日展史編纂委員会編『日展史4 文展編』日展、1981年術研究学会、1987年6月、松浦あき子「池田蕉園の人と芸術」『三彩』484号、84-90頁、1988年1月。松浦(古田)あき子氏には多数の資料のご提供ほか、大いに示唆をいただいた。に多くを拠っている。
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