鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 335 ―― 335 ―㉛ 川崎美術館と神戸川崎男爵家コレクションに関する研究研 究 者:神戸市立博物館 学芸員  石 沢   俊はじめに川崎正蔵(1836~1912)は川崎造船所の創業者として日本の近代化を支えた重要な実業家・男爵・貴族院議員である。彼は東洋美術の収集家としても著名で、そのコレクションは中国絵画の優品をはじめとして、平安時代から近代までの幅広い絵画や、茶道具・仏像など、多様な作品で形成されている。1,000点とも2,000点とも伝えられるコレクションには伝顔輝筆「寒山拾得図」(東京国立博物館蔵)や伝銭舜挙筆「宮女図」(個人蔵)、「千手観音像」(東京国立博物館蔵)など、現在国宝・重要文化財に指定されている作品や東山御物も含まれ、美術史を語る上で重要な優品が多い。コレクションを自己の楽しみとして独占することなく、国民とともに享受することを目的とした川崎は、明治23年(1890)9月6日に神戸市布引の自邸内に私立美術館「川崎美術館」を開館し、年に一度、数百点ほどの展観を行ってきた。従来、日本の博物館史では大倉集古館(大正6年(1917)大倉喜八郎創設)が日本初の私立美術館と考えられてきたが、川崎美術館は遡ること数十年前に活動していたことになる。神戸川崎男爵家コレクションは二度の売立目録が刊行されており、その存在はある程度認知されている。しかしながら、川崎美術館は一般はもとより、美術史学、博物館学の研究者にもほとんど知られていないのが現状である(注1)。本研究では、明治から昭和初期の新聞記事や、川崎美術館の陳列品目録などの文献資料調査を通して、川崎美術館の活動と神戸川崎男爵家コレクション散逸までの変遷をたどる。あわせて、大正3年(1914)の川崎正蔵三回忌に際して刊行された名品図録『長春閣鑑賞』や二度の売立目録、関連資料をもとに、各所に所蔵される神戸川崎男爵家コレクションを探索し、作品調査を実施することで、同コレクションの復元を目指すものである。1.新聞記事からたどる川崎美術館の活動川崎美術館の活動は、主に二つの文献資料からたどることができる。ひとつは、明治から昭和初期の新聞・雑誌記事である。この点については主に「神戸又新日報」「神戸新聞」を対象として小稿をまとめたことがあるが(注2)、本助成の研究では「大阪毎日新聞」「大阪朝日新聞」「大阪朝日新聞神戸附録」を中心にさらなる確認を行った。もうひとつは、川崎美術館が発行した陳列品目録である。これら二つの文献資料

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