鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 23 ―― 23 ―③静岡県河津町・南禅寺の平安時代仏像群について─尊像構成から見たその性格─研 究 者:上原美術館 主任学芸員  田 島   整はじめに静岡県賀茂郡河津町の南禅寺には、26体の仏像神像と23点の彫像断片が伝えられてきた(注1)。これらは平安時代の像と考えられ、数の多さと9~10世紀の像を含む古さから注目すべき群像である。南禅寺諸像に関する先行研究には、地方史研究所による調査報告(注2)、平安初期における如来像の全国展開の一例として位置づけられた久野健氏の研究(注3)、鷲塚泰光氏の論考(注4)などがあるが、主要な像の分析が中心で、群像としての性格について論じられることは少なかったと思われる。近年、南禅寺から流出、あるいは流失した可能性が高い像が多く報告され、かつて南禅寺に存在した仏像は40体を越えると考えられる。この数は東国の無名の地方寺院としては多く見えるため、周辺寺院からの客仏が集積されたと言われることが多いが、仮に古代寺院が当地に多数存在していたとすれば、何故古代寺院が伊豆の辺陬に思える地域に集中して存在したのかという疑問が生じる。本研究では、南禅寺諸像を、ひとまず一まとまりの群像ととらえる視点に立ち、尊像構成の分析と他作例との比較を通じて特徴を明らかにするとともに、仏像群が制作された時代の伊豆について記す史料を検討、群像の造像背景を考察する。この作業を通じて、南禅寺諸像の性格と、伊豆に存在する理由について新たな視点を提示することを目指したい。1.尊像構成の検討本節では南禅寺諸像がどのような尊格で構成されているかを確認、その特徴を抽出する。〔表1〕は南禅寺の26体の仏像神像と(1~26)、彫像断片(ア~ヌ)、南禅寺から流出したと考えられる像(A~G)についてまとめたものだが、破損し、尊名を確定し難い像が含まれる。そこでまず、その尊名を可能な限り明らかにしたい。最初に天王像①~⑥だが、このうち①②は作風と大きさの一致から、仁王、あるいは二天とされてきた。しかし断片の中に、同じ大きさの天王像の腕(シ)が存在するため、四天王であった可能性が高い。天王像③~⑥は一具で四天王とされたこともあったが(注5)、④⑤はともかく、③と⑥は明らかに法量が異なり、一具とは考えられない。③は独尊の毘沙門天の可能性があるが、判断は難しい。

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