★第5回開館(5月5日−6月9日)毎週日曜の9時−16時に開館。切符持参の人にかぎり縦覧に供す。雨天時は休館。6月9日の最終日は、雨天でも開館大阪毎日:4月13日(月)・14日(火)・26日(日)、5月3日(日)・17日(日)、6月6日(土) 大阪朝日:4月13日(月)・14日(火)・15日(水)、5月3日(日)・17日(日)、6月7日(日) 午前9時−午後4時10月10日 アーネスト・F・フェノロサ、九鬼隆一の紹介で川崎邸を訪問10月12日 フェノロサと妻メアリー、川崎邸を訪問。伝顔輝「寒山拾得図」、月山「楼閣山水図」、趙大年、西金居士、応挙「雪景山水図」、信実「聖徳太子像」等を鑑賞10月15日 株式会社川崎造船所(神戸)創立。川崎正蔵が顧問、松方幸次郎が初代社長、川崎芳太郎が副社長に就任★第7回開館(5月15日−6月6日)開館日:5月15日、5月23日、5月30日、6月6日開館時間:午前9時−午後4時『神戸みやげ』に川崎美術館掲載『神戸名勝案内記 附近傍』に川崎美術館掲載★第8回開館(11月12日−11月19日)当初会期は11月26日まで(開館日:11月12日・19日・23日・26日)。しかしながら、神戸市でペスト流行に伴い、11月18日に祭礼・供養・工業・集会等を禁じる兵庫県令が出されたことで、川崎美術館は11月19日で閉館4月18日 川崎正蔵、パリ万博に所蔵品を出品するため、渡仏。洋行中は、狩野常信「雪白鷺図」と梅干し、日本茶を常に敬愛していた。4月27日 神戸港での観艦式に際して、舞子御別邸に川崎正蔵の宝玉七宝を陳列5月上旬 川崎正蔵、パリ万博で大褒賞を受賞した「宝玉七宝花瓶一対」及び「同香炉」を皇室へ献納。★第12回開館(追福開館)(5月2日−11日)5月5日 高橋蔵相、川崎美術館来館「土方宮内大臣(神戸出発)」(4月14日「大阪毎日新聞」)「衛生総会」「会員案内」(4月12日「大阪朝日新聞」)「川崎美術館の開館」(4月12日「大阪毎日新聞」)「美術開館」(4月12日「大阪朝日新聞」)「川崎美術館」(5月14日「大阪毎日新聞」)「川崎美術館」(5月16日「大阪朝日新聞」)岡太郎吉編『神戸みやげ』(神戸同盟出版社、明治30年3月)鍋島直身編『神戸名勝案内記 附近傍』(日東館、明治30年4月)「松方伯」(6月19日「東京朝日新聞」)11月10日 「東京朝日新聞」7面「東宮殿下舞子御滞在」11月11日(「大阪毎日新聞」)「神戸長春閣の粧飾」『京都美術協会雑誌』第90号、明治32年12月「今上天皇行啓」(山本実彦『川崎正蔵』吉松定志、大正7年)「会」(11月10日「大阪朝日新聞」)「興行、集会、祭礼、供養の禁止」(11月20日「大阪朝日新聞」)「展観雅集」(11月21日「大阪朝日新聞」)「広告 川崎美術館」「川崎氏の美術館」(11月21日「大阪毎日新聞」)「川崎正蔵氏の渡仏」(4月1日「読売新聞」)「豪快なる洋行」(山本実彦『川崎正蔵』吉松定志、大正7年)「観艦式行幸彙報(続) 〇物産展覧」(4月27日「大阪朝日新聞」)「川崎正蔵氏の献品」(5月5日「読売新聞」)「よみうり抄 七宝花瓶と香炉の献上」(5月9日「読売新聞」)『川崎美術館第九回陳列品目録』(島根大学附属図書館[桑原文庫蔵])『神戸新聞五十五年史』「曾禰蔵相(神戸)」(6月9日「大阪朝日新聞」)「兵庫県の奉迎準備」(11月7日「大阪毎日新聞」)「舞子御駐泊に就き」(11月7日「大阪朝日新聞」)「名誉の屏風」(11月9日「大阪毎日新聞」)「玉座」(11月10日「大阪朝日新聞」)「舞子御駐泊余聞」(11月19日「大阪毎日新聞」)「還幸に対する準備(舞子)」(11月16日「大阪朝日新聞」)「舞子行在所」(11月19日「大阪朝日新聞」)松方正義「書簡(川崎正蔵宛・3月9日)」189512月6日 松方正義、川崎正蔵へ書簡。川崎秘蔵の掛軸拝見を切望松方正義「書簡(川崎正蔵宛・12月6日)」4月12日 大日本私立衛生会第十四次総会の神戸開催に際して、土方宮内大臣が川崎美術館に来館4月12日−14日 大日本私立衛生会第十四次総会の神戸開催に際して、神戸衛生支会による特別内覧会が湊川神社宝物並に戦利品、川崎美術館、造船所及此他各製造工場にて開催★第6回開館(4月13日−6月6日ヵ)1896189718981899190019011901-★第9回開館1902190319121913― 346 ―― 346 ―元号明治28年明治29年明治30年明治31年明治32年明治33年明治34年明治34年以降明治35年明治35年以降?1902-明治36年大正元年大正2年西暦川崎正蔵・川崎美術館・神戸川崎男爵家「摂播旅客案内」に布引周辺の名所として、川崎美術館が掲載6月18日午後 松方正義伯爵、布引川崎邸を訪問。11月9日 皇太子殿下、神戸行啓。布引滝御覧後、布引川崎邸の長春閣にて御休憩。長春閣はこれが座敷開きとなる。その後、川崎美術館を鑑賞し、伝顔輝「寒山拾得図」を御気に召される。1月1日 「神戸新聞」に円山応挙筆「水飲の虎」の絵附録添付6月8日 曾禰蔵相、川崎美術館来館11月8日−9日 明治天皇行幸に際した舞子御駐泊。川崎正蔵所蔵品から金屏風が御用立てられる。松村景文筆「波鶴図屏風」や、狩野永徳筆「桐に鳳凰図」(林原美術館蔵)、同筆「桜馬図」(個人蔵)などが展示。その数は5双とも、10双とも伝えられる。探幽、応挙の作品が御用立てられたとも伝えられる。11月17日−18日 還幸に際した舞子御駐泊。行幸時と同様の御用立て3月9日 松方正義、川崎正蔵へ書簡。松方は自身が所蔵する岩佐又兵衛の絵巻を800円で購入するよう、川崎へ依頼。4月12日 布引川崎邸にて園遊会開催。田中宮相、松方伯、その他内外の紳士各軍艦長等千三百余名を招待6月下旬 ロシア陸相、布引川崎邸を訪問11月3日 川崎正蔵、川崎美術館を建設したことが人物伝に掲載11月10日 大演習に伴う神戸行幸の行在所に、川崎正蔵所蔵の屏風が御用立てられる12月2日 川崎正蔵逝去。12月8日 川崎正蔵の葬儀、春日野にて執り行われる。松方幸次郎、松方侯林伯各代理森市左衛門、服部兵庫県知事、鹿児島、神戸市長、貴衆両院議員其他五千余名にて神戸市開設以来絶無の盛葬となる。出典「摂播旅客案内(六) 布引の温泉と鉱泉・川崎美術館・生田神社案内につき」(4月16日「神戸又新日報」)「川崎美術館」「広告 川崎美術館」(5月5日「神戸又新日報」)「川崎美術館」(5月6日「大阪毎日新聞」)「川崎美術館」(6月7日「神戸又新日報」)「川崎美術館の閉場」(6月8日「大阪朝日新聞」)「フェノロサ氏」山本実彦『川崎正蔵』吉松定志、大正7年)「メアリー・フェノロサ日本日記」「メアリー・フェノロサ日本日記」『川崎造船所四十年史』(川崎造船所、昭和11年)「川崎氏の園遊会」(4月13日「東京朝日新聞」)「川崎造船所と露国陸相」6月27日 「大阪朝日新聞神戸附録」11月3日 「読売新聞」37面「大演習彙報」(11月10日「大阪朝日新聞」)「川崎正蔵氏逝く 本邦造船界の偉勲者」(12月4日「読売新聞」)「川崎氏の葬儀」(12月9日「大阪朝日新聞」)「川崎氏の葬儀(大阪)」(12月9日「読売新聞」)「川崎邸の美術館」5月3日 「神戸新聞」4面『川崎美術館第12回陳列品目録 −為徳光院殿豁堂恵然大居士追福開館−』(池田文庫蔵)「高橋蔵相」5月6日(「大阪毎日新聞」)「高橋蔵相」5月6日(「大阪朝日新聞」)
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