鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 24 ―― 24 ―菩薩像①~④は、いずれも損傷著しく、尊名確定が難しい。次いで南禅寺から流出したB、Cと、南禅寺から至近の河津浜から移されたという伝承を持つGは観音とされるが、いずれも手が後補で、当初の尊名は不明である。仏像の断片を見ると、背板と背(ア~ウ)、腕(キ~サ、ソ)があるため、南禅寺にかつて存在した菩薩像は十数体に登ると考えられる。この中には、日光・月光菩薩像が含まれる可能性があるものの、少なくとも現存する7体の菩薩像(菩薩像①~④、B、C、G)は相互に作風が異なり、脇侍としての一具性が認められない。以上の点を踏まえて南禅寺仏像群を見ると、以下の特徴が浮き彫りになる。①薬師如来を中尊とするが、日光月光菩薩、十二神将像が存在したか否かは不明。②梵天帝釈天、四天王、吉祥天が存在。③十一面観音立像が3体、菩薩立像が多数含まれる。④多くの神像が存在。また、現存唯一の作例とされる宝誌和尚像が南禅寺に伝来した可能性が高い点(注6)も興味深い。2.南禅寺仏像群の造像過程南禅寺諸像の造像年代には差がある。本稿では各像の年代を簡単に検討しておきたい。薬師如来像、天王像①②は、南禅寺最古の像と考えられる。薬師如来像は従来、10世紀前半の像とする説が有力であったが(注7)、たっぷりとした量感表現や深く刻まれた翻波式衣文などから9世紀後半に遡る可能性が高い。天王像①②は、9世紀前半の広島県古保利薬師堂四天王像と像容の類似が指摘されつつも、細部の表現に省略が見られるため10世紀とされてきたが(注8)、圧倒的な量感表現は古様で、古保利像よりやや降る9世紀後半とするのが妥当と思われる。次に地蔵菩薩像は、従来10世紀とされてきたが、量感に満ちた体躯、当初与願印であったと考えられる左手、頭の長い異相などは古様で、やはり9世紀後半にさかのぼる可能性がある。従来11世紀とされた梵天帝釈天も、翻波式衣文や、大陸的な風貌などから、同時期の作と考えたい。善光庵の十一面観音像、龍音寺の菩薩像、地福院吉祥天像は、従来から10世紀とされてきた。昨年当館の調査で新たに見出された栖足寺如来像も、破損著しい像ながら、量感に満ちた一木造の構造と翻波式衣文から、10世紀と考えられる。従来は12世紀とされてきたが、腰高のプロポーションと量感を持つ天王像③④⑤、十一面観音像②、古様で翻波式衣文を刻む伝賓頭盧像も10世紀と考えられる。次の11世紀には宝誌和尚

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