― 348 ―― 348 ―㉜ 縄文土器における考古資料と美術品の境界に関する研究─1893年シカゴ・コロンブス万博に出品された考古学水彩画をもとに─No.2、No. 10、No. 15、No. 16の4枚には、水損による欠落箇所が認められ、モチー研 究 者:新宿区立漱石山房記念館 学芸員 鈴 木 希 帆はじめにこれまで近代の博覧会に関する研究は、東京国立博物館や久米美術館の展示などで公開されてきた。国立歴史民俗博物館ではコレクターに着目した日本資料の研究が報告されている。このように、美術品や工芸品、民俗資料の在外資料研究は活発に行われているが、いっぽうで、明治期に博覧会に出品された日本考古遺物に関する研究は活発に行われていない。本論では、明治時代の博覧会に出品された日本考古遺物の水彩画を、歴史学的意義と美術史的意義の両面から検証し、日本考古遺物の在外資料研究を促進するとともに、美術としての縄文土器研究の可能性を示したい。作品の概要本論であつかう、考古遺物の水彩画とは、明治26年(1893)のシカゴ・コロンブス万博(以下シカゴ万博と称す)に出品された、日本の考古遺物や遺跡を描いた《日本考古学水彩画》(仮称)16枚である。本作品は、博覧会終了後、日本政府から米国のペンシルベニア大学に寄贈され、現在はペンシルベニア大学博物館が所蔵している。作品画像については、ペンシルバニア大学博物館のWEBコレクションデータベースで公開されている(注1)。本稿では〔図1~5〕にその一部(作品No.1、2、3、5、13)を示す。シカゴ万博では、日本政府出品区画のMの区「人類学、古物学、工作及び発明の進歩」に出品された。展示の様子は、臨時博覧会事務局の刊行物『臨時博覧会事務局報告付属図』(1895年5月)の「人類衛生館内日本部」〔図6〕に確認することができる(注2)。現状における紙面のサイズは、欠損部が少なく完形に近いNo.1〔図1〕が縦77.1cm×横114.7cmで、他の紙面も概ね同様であるが、横幅が2~3cm程度短いものも含まれ、同一ではない。図は、画用紙に水彩画で描かれ、輪郭は、鉛筆で描かれている。画用紙の四辺には木枠の跡が確認でき、その上の画用紙の四隅や四辺の中間に、画鋲を刺した穴が確認できる。フの判別が難しい所もあるが、確認できる範囲の描画内容を〔表1〕に記す。
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