鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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注⑴ https://www.penn.museum/collections/accessionlot.php?irn=4589&page=1参照。⑵ 同じ写真は東京国立博物館『海を渡った明治の美術:再見!1893年シカゴ・コロンブス世界博― 355 ―― 355 ―Historic and Artistic Significanceの内容を発展させたものである。ペンシルバニア大学のフレドリック・R.ディキンソン教授、ゲティスバーグ大学の西村曜子先生、九州国立博物館の白井克也研究員には、本研究に多大なご協力をいただきました。記してここにお礼申し上げます。⑶ 三宅米吉:万延元年(1860)─大学博物館昭和4年(1929)。歴史学者。東京高等師範学校校長、東京帝室博物館総長、東京文理科大学学長を歴任し、1895年には考古学会 (現日本考古学会) を創立した 。⑷ 二世 五姓田芳柳:元治元年(1864)─昭和18年(1943)。明治30年代パノラマ絵を描き、日英博覧会や遷都記念博覧会などでジオラマや背景画を手掛ける。聖徳記念絵画館の下絵構想を担い、宮内省の依頼で『明治天皇紀』の附図を描く。⑸ 坪井正五郎:文久3年(1863)─大正2年(1913)。人類学者。理学博士。1884年白井光太郎らとともに人類学会を創設する。1886年、大学院に入学し、人類学を専攻する日本で最初の学生となる。人類学会および東大人類学教室の主宰者として、現在の自然人類学、文化人類学(民族学)、民俗学、考古学を横断する研究を行う。⑹ 石器時代は日本の歴史教科書から排除されるが、昭和13年(1938)文部省国定教科書の『小学国語読本 巻十二』に、「古代の遺物」という縄文時代の遺物が登場する読み物が掲載され、挿図に縄文時代や弥生時代の遺物の石器、土器、青銅器の絵図と、前方後円墳の写真が用いられている。⑺ 伊藤真美子『明治日本と万国博覧会』吉川弘文館、2008年、44頁参照。⑻ 角田拓郎「五姓田派と明治皇室─明治天皇像、肖像画、風景画」『三の丸尚蔵館年報・紀要』⑼ 岡部昌幸「近代洋画の源流・二世五姓田芳柳の画系とその功績」『二世五姓田芳柳と近代洋画⑽ 東京国立博物館に大正2年(1913)作の遺跡を描いた油絵《群集横穴圖》(J-7131)、《圓形古墳図版出典:図1~5 ペンシルバニア大学考古学人類学博物館提供図6  東京国立博物館『海を渡った明治の美術:再見!1893年シカゴ・コロンブス世界博覧会』覧会』1997年に掲載されている。22、2017年、14頁参照。の系譜』明治神宮、2006年、12頁参照。圖》(J-7132)所が蔵されている。1997年より転載図7~9 東京国立博物館所蔵資料、筆者撮影

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