鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 25 ―― 25 ―像や千葉称念寺の菩薩像などが制作されたが、作例は少なく、単発的な造仏が行われた時期だろう。12世紀には多数の神像が制作されている。以上、南禅寺仏像群を構成する像を造像年代から見た場合、大きく「9世紀後半~10世紀前半」「10世紀」「12世紀」の三期に分けることができるが、10世紀像に後半まで降ると思われる像は少なく、前二期は連続した一連の造像活動のように思える。南禅寺諸像の用材の樹種について調査を行った岩佐光晴氏らの研究報告書(注9)は、「南禅寺では仏像がカヤ、神像がクスノキと使用される樹種がほぼ明確に分かれ注目された」とするが、このことは南禅寺が一貫した用材観に従って造像されていることを示し、継続した造像意識に基づく作例を思わせる。9世紀前半から10世紀半ばが、現存する南禅寺諸像の最初の造像期であったとしたい。3.他作例との比較検討前節では、南禅寺仏像群の古層の造像期を、9世紀前半~10世紀半ばと考えた。次に、この前後に造像された他作例との比較を行い、南禅寺諸像の性格を考えたい(〔表2〕参照)。①延暦寺根本中堂の諸像と善水寺の諸像薬師如来に梵釈二天と四天王を配する尊像構成は、延暦寺根本中堂に由来する天台寺院の尊像構成と一致するとのご教示をいただいた(注10)。根本中堂と、それを写したとされる滋賀県湖南市の善水寺の尊像構成との比較を行う。延暦寺根本中堂は、9世紀初頭の最澄開創後、度重なる戦火で創建時の諸像を失っているが、鎌倉時代の『叡岳要記』『山門堂舎記』から、古い安置像を知ることができる。このうち十二神将は治安二年(1022)、藤原道長が寄進したもので、日光月光菩薩像は藤原頼通寄進であり、ともに11世紀に降る。それ以前の像としては、3躯の薬師如来像、七仏薬師、藤原良房寄進の梵天帝釈四天王像、文殊聖僧像が確認できる。根本中堂諸像を写したとされるのが、滋賀県湖南市、善水寺本堂の諸像である。この仏像群は、正暦四年(993)造像の薬師如来像を中心に、梵天・帝釈天像、兜跋毘沙門天像、四天王像、不動明王像、聖僧文殊像が同時期の像とされ、『叡岳要記』が記す根本中堂の諸像とほぼ一致する。根本中堂・善水寺と南禅寺の尊像構成を比較するとき、薬師像に梵釈四天王、僧形像を配する点が一致する。その一方で、南禅寺の古層像に含まれる地蔵、吉祥天、複数の十一面観音像が見られない。また、延暦寺根本中堂本尊を意識する全国の薬師如

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