鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 359 ―― 359 ―㉝ 榮山寺八角堂内陣飛貫にみられる騎獅菩薩について研 究 者:奈良国立博物館 学芸部 アソシエイトフェロー  萩 谷 みどりはじめに奈良県五條市に所在する榮山寺には、8世紀の政界で活躍した藤原仲麻呂が亡き父母のために建立したと伝えられる八角堂(国宝)が現存する(注1)。南に吉野川を臨み、仲麻呂の父武智麻呂の墓とされる史跡を擁する丘陵を背に広がる寺域のなかで、八角堂は金堂の東側に位置し、建立年代については天平宝字4年(760)から同8年の間と推定されている(注2)。そしてその内陣には、剝落が進んではいるものの多様な装飾画(重要文化財)が残されており、建物それ自体とともにまことに高い価値をもつ。八角堂の内陣は方一間の正方形で、装飾画が描かれているのは、正八角柱の内陣柱4本の各面、隣り合う柱を上部でつなぐ4本の飛貫の下面および両側面、その上に置かれた格天井の格間と格縁である。柱絵の供養菩薩、飛貫絵の宝相華や騎獅菩薩、迦陵頻伽、神仙、天人や鳥、天井の格間に表された団花形式の宝相華など、装飾画はいずれも見事なできばえを示し、「正倉院文書」にみえる「造円堂所牒」(注3)が本八角堂に関わるものとされることから、その造営には造東大寺司が関与したことも指摘されてきた(注4)。数少ない奈良時代の絵画として、仲麻呂が権勢を奮って制作した第一級の作として、本装飾画は絵画史上極めて重要な意義を有するのである。本研究では、内陣装飾画のうち東飛貫下面の南北に1軀ずつ描かれた獅子に乗る菩薩に注目した。それは、文殊菩薩にも見まがうようなこの騎獅菩薩の姿が、奈良時代にさかのぼる例として珍しいものであるため、その位置づけを検討する試みが装飾画全体の制作背景を知ることにもつながると考えたからである。そこで以下、騎獅文殊菩薩との関係、本作例に認められる特徴的な印相という2つの点を手がかりとして考察を行う。なお本装飾画の研究においては、昭和23年(1948)に実施された調査に基づく秋山光和氏による論考(注5)が基礎となるものであり、本稿もこれによるところが大きい。1.騎獅菩薩の図様まずは飛貫絵の概要を述べる(注6)。柱に貫入される部分を除いた画面としての長さは9尺5寸弱(約288センチメートル)、幅は下面が4寸強、両側面は4寸5分前後で(注7)、装飾画の構成は4本に共通する。両側面は、中央に置いた唐草形式の

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