鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 360 ―― 360 ―宝相華をはさんで左右対照的に、中央に向かって飛行する1対の鳥、天人、宝相華、再び鳥を表す。下面は、中央と左右に各1軀の像を配し、その中間と左右両端の4か所に宝相華を描く。下面、側面を通じて縦にも横にも同じモチーフが並ばない整然とした配置である。このうち下面の像は、南北飛貫においては神仙、西飛貫では迦陵頻伽とする。東飛貫の3軀はいずれも菩薩で、南側、北側の像がそれぞれ獅子に乗る姿である。各像の天地については、南北飛貫では中央と東側の像が頭を西に、西側の像が頭を東にして描かれ、東西飛貫では中央と南側の像が頭を北に、北側の像が頭を南に向けて表されている。飛貫に配された像は、飛行する天人や鳥だけでなくいずれもが雲をともない虚空にいることが示されており、飛貫という高位置にふさわしい姿である(注8)。東飛貫下面北側の菩薩は、左斜め方向を向き、獅子の背に坐す〔図1〕。右手は伏せて胸前に上げ、左手は臂を深く曲げて掌を肩の辺りまで上げているが、手先は剝落のため不明である。秋山氏は、左手の上には蓮華または宝珠を載せているらしいとする。描き起こしは墨線で、肉身の色は現状では明瞭ではないが、首元や手先、腹部などに朱隈を施す。獅子の背には直接坐っているとみられ、後述する南側の像が片足を踏み下げているようであることから、同様の坐勢である可能性が高い。切箔によって宝冠、胸飾、腰帯、臂釧、腕釧を表し、頭上には天衣が大きく翻るさまを描く。獅子は左斜め方向を向き咆哮する姿で、渦巻きを連ねて表したたてがみが顔の周囲を覆う。残存する右前足や胸の形から堂々たる体軀であったことが想像される。右前足の下には蓮華を、さらにその下方には尾を上方に引く雲を描く。蓮華、雲はいずれも赤褐色の繧繝によって彩色されているが、秋山氏によれば、これらの赤褐色は鉛丹の変色であるという。一方の南側の菩薩はかなり断片的だが〔図2〕、わずかに残る獅子の口や左前足の向きから判断すると右斜め方向を向いているようである。胸飾や臂釧などのものとみられる切箔の断片や褐色を呈する裙の一部も認められ、裙が下に向かってカーブを描くように表されていることから、菩薩は左足を踏み下げる形であったと推測される。筆者は以前に、装飾画の各モチーフが天平盛期の作例として位置づけられることを確認した(注9)。騎獅菩薩に関していえば、肉身に施された濃い隈取りは、奈良時代の代表的な絵画作例である法華堂根本曼陀羅(アメリカ・ボストン美術館蔵)の諸像における強い隈取りを想起させるものである。また獅子の顔を覆う特徴的な巻き毛のたてがみについて、同様の表現は東大寺金銅八角燈籠の火袋の浮き彫り、正倉院宝物の漆金薄絵盤・乙(南倉37)に表された獅子などに見ることができる。特に漆金薄

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