鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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注⑴承徳2年(1098)の「榮山寺別当実経置文」に「八角堂一宇、是仲麻呂奉為先考先妣所建立也。」とある(「榮山寺文書」所収、竹内理三編『平安遺文 第4巻』東京堂、1953年、1356頁)⑵福山敏男「榮山寺の創立と八角堂」『榮山寺八角堂の研究』便利堂、1951年(同氏『寺院建築― 365 ―― 365 ―倶舎曼荼羅とたいへん似通う(注32)。また、諸尊が坐す蓮弁にあしらわれた、繧繝彩色による対葉花文のモチーフは奈良時代とのつながりを思わせ、菩薩の宝冠には大仏蓮弁線刻画のそれと類似する意匠も認められる。こういった作例のなかに、本章で注目してきた印相もまた描き込まれているという状況から、これが後世の南都において、奈良時代にさかのぼる図様のひとつとして引き継がれたと考えてみたい。ただし今回目を配ることができた作例は少なく、今後さらなる検討を要する。おわりに以上、榮山寺八角堂内陣東飛貫に描かれた騎獅菩薩について、これが騎獅文殊とはいえないまでも、唐における五台山文殊信仰の隆盛から何らかの影響を受けた可能性のある図様であること、右手を胸前で伏せる印相が、薬師寺や東大寺といった官大寺における作例との共通性がうかがわれる、根拠のある図様であることを指摘した。こういった様相は、時の権力者であり唐風を好んだ藤原仲麻呂にかかる装飾画としてまことにふさわしいといえよう。本装飾画は剝落のために断片的となっており、同時代の作例が少ないこともあいまって、個々の図様からその制作背景を推定するには困難がともなう。しかしながら、今回印相の考察において若干試みたように、後世の南都の作品との関係性のなかに置くことによって、新たに相互補完的に理解されることがあると感じる。今後は視野を広くもち、奈良時代に淵源をもつ図様が時代を超えて継承されるありようについても検討していきたい。の研究 中』中央公論美術出版、1982年に再録)⑶『大日本古文書』5、463~464頁⑷前掲注⑵福山氏論文⑸秋山光和「八角堂内陣装飾畫」『榮山寺八角堂の研究』便利堂、1951年⑹装飾画全体の概要については前掲注⑸秋山氏論文および拙稿「榮山寺八角堂内陣装飾画の性格─古代寺院の建築彩色の一例─」『古代寺院の芸術世界』竹林舎、2019年を参照⑺飛貫の寸法は前掲注⑸秋山氏論文を参照⑻前掲注⑸秋山氏論文⑼前掲注⑹拙稿⑽谷口耕生「漆金薄絵盤(香印坐)の製作をめぐって」『第65回 正倉院展』奈良国立博物館、

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