鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 26 ―― 26 ―来像の造像年代が、おおむね10世紀半ば以降とされることも(注11)、9世紀後半~10世紀前半と推定される南禅寺諸像の年代と乖離している。②福島県勝常寺諸像勝常寺は、弘仁年間(810~824)、法相宗の徳一によって開かれたとされる古刹であり、徳一は最澄と「三一権実諍論」を繰り広げた学僧であった。勝常寺の初期造像には徳一が関わったと考えられ、主要な12体は9世紀前半~10世紀初頭の作例とされる。勝常寺と南禅寺を比較すると、勝常寺の薬師如来像が、南禅寺にはない日光月光菩薩像を脇侍とし、勝常寺には南禅寺にある梵天帝釈天と吉祥天像がない。しかしこの差異は、南禅寺の多数の菩薩像に、日光月光菩薩が含まれる可能性があり、天部像である勝常寺の伝虚空蔵菩薩像が梵釈いずれかの像とも考えられ、ここにも梵釈像が存在した可能性があることに留意したい。一方両寺とも、四天王と地蔵菩薩、十一面観音像が存在する。勝常寺の伝徳一菩薩像の像容が南禅寺の伝賓頭盧像と似る点も興味深い。③広島県古保利薬師堂像古保利薬師堂の諸像と南禅寺諸像は、ともに地方にある薬師如来を中心とする平安の古像であり、比較検討されてきた。その中で、古保利像中の増長天像と南禅寺天王像①の目の形や上の歯で下口唇を噛む表現、甲冑の形式などの近似が指摘されている。群像構成から見た場合も、梵釈二天像はないものの、四天王と吉祥天像、3体の十一面観音像がある点が一致し、各像の造形も似た印象を受ける。④広島県善根寺薬師堂諸像広島県三原市に善根寺収蔵庫にも薬師如来像を中尊とする22体の9~10世紀の群像が伝えられている(注12)。善根寺諸像を南禅寺と比較すると、薬師如来に帝釈天、四天王、吉祥天、僧形坐像を配する点が一致する。また江戸期の像ではあるが、帝釈天像とほぼ同じ法量の天部像があり、かつて存在した梵天像を補ったとも考えられ、梵釈二天像が存在した可能性が高い。さらに善根寺には多くの如来立像、菩薩立像、天王像、天部像が存在するが、その多くが、大きな干割れが生じ、像表面に節が現れ、鑿痕を残すなど、仏像としては異形である。これらは本地仏にまま見られる特徴で、神道の男神立像も一体存在する。神像群を擁する南禅寺との類似は興味深い。

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