― 371 ―― 371 ―㉞ 近世後期における「やまと絵」の再編─狩野養信を中心に─研 究 者:学習院大学 文学部 助教 関 彩与子1、はじめに近世では、やまと絵の正系である土佐派以外にも、琳派や復古大和絵派などが、やまと絵の系譜を受け継ぎながらも正系とは異なる画風を築き、また、狩野探幽(1602~1674)をはじめとする狩野派もやまと絵を手掛けた。この漢画・やまと絵という複相的な実質への関心や理解は、歌仙絵や歌絵などへの狩野派の画域の拡大、酒井抱一(1761~1829)の復古的作品に見る土佐派作品との関係など、画派を超えた「やまと絵」の論点として結実し、考察が重ねられてきている(注1)。従来の漢画の画家、やまと絵の画家という二項対立では、近世のやまと絵を十全に語ることはできないのであり、諸派の垣根を取り除きつつ、どのように近世の「やまと絵」が展開していったのかを考察する必要がある。しかし、これまでのところ、こうした視点での議論の対象とされるものは、近世前期に偏りがちであったことは否めない。では、国学の流行や、古画学習による復古的作品が描かれるような、近世後期の「やまと絵」は、どのように古典の再編がなされ、いかなる働きを担ったのであろうか。本稿では近世後期の「やまと絵」の再編・展開を捉えるべく、まずは狩野養信(1796~1846)の「やまと絵」を検討していく。狩野養信は、江戸時代後期に活躍した木挽町家狩野派9代目の絵師である。二度にわたって統率した江戸城障壁画制作の下絵(東京国立博物館)や、36年間の活動を記した『公用日記』(東京国立博物館)等により、奥絵師としての日常や、盛んに古絵巻類の模写を行ったことが判明している。作品研究においては、制作背景や、日記との照合、一部の作品における古画図様との比較、構図の源泉を辿ることが中心であった(注2)。総体的な特徴や、古典図様をどのように消化し独自の工夫を凝らしているのか、養信におけるやまと絵とは何か、といったやまと絵師としての養信の姿は十分には捉えられていない。そこで、本稿では、現存する養信筆源氏物語図屏風に注目する。テキストとの関係や、古画・先例との関係を包括的に探ることで、どのように源氏物語図屏風を再構成していったのかを明らかにする。また、養信作品にみられる水平的な構図などは、父栄信の先例に倣ったことが指摘されているが、改めて栄信や、養信と同時代に御用絵師として活躍した狩野邦信の作品と可能な限り比較することで、その流れの中にも変化が認められ、養信作品が何を表そうとしたのかを明らかにしたい。
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