鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 372 ―― 372 ―以上の研究を、養信のやまと絵師としての姿、及び近世後期のやまと絵の様相を探る糸口としたい。2、養信筆源氏物語図屏風について養信筆源氏物語図屏風は下記の通りである。各作品に描かれる場面とテキストについては表にまとめた〔表1〕。「源氏物語図屏風」石山寺蔵(以降、石山寺本)「若紫図屏風」ブリンマー・カレッジ蔵(以降、ブリンマー本)「絵合・胡蝶図屏風」東京国立博物館(以降、東博本)「源氏物語図屏風」法然寺蔵(以降、法然寺本)「源氏物語図屏風」林原美術館(以降、林原本)〔図1〕「源氏物語子の日図屏風」遠山記念館(以降、遠山本)「源氏物語図屏風」個人蔵(以降、個人本)作品全体としては、田口榮一氏による源氏絵屏風の分類(注3)の内、画面を一つの帖の一場面で構成する単一画面の大画面形式にあたること、1帖から2図選び、それぞれ左右隻に描く作例をいくつも制作していることが挙げられる。石山寺本、東博本に関しては、詳細に検討された先行研究はほとんどないが、その他の作品については、制作時期、テキストとの整合性、様式・図様に関する他作品との影響関係など、アプローチ毎に分けて先行研究を確認したい(注4)。まず、制作時期について指摘されるのは、法然寺本、林原本、遠山本である。法然寺本は、文政9年(1826)、11代将軍徳川家斉の息女文姫が、高松藩主松平頼恕の嗣子頼胤に輿入した際持参した調度品の一つである。林原本は、天保3年(1832)、将軍の息女喜代姫が、姫路藩主酒井忠学に嫁ぐ際の婚礼調度の一つとして制作されたと考えられている。遠山本は、『公用日記』天保12年(1841)10月25日の記述に、これに該当すると思われる作品が記されている。 次に、テキストとの整合性について確認する。林原本は、「垣代」をテキストに従い楽人が舞人を取り囲む形で描き、若菜帖に取材した法然寺本は「螺鈿の御厨子二具」を再現し、同場面を描く遠山本よりもモチーフが多く、より本文に忠実に多くの物を描こうとしているという。最後に、様式・図様に関する他作品との影響関係については、ブリンマー本、遠山本、法然寺本、個人本に先学の研究がある。ブリンマー本は、伝土佐千代「源氏物語屏風」(出光美術館)、土佐光起筆「源氏物語図屏風 若紫・須磨図」(福岡市立美術館)

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