鹿島美術研究 年報第37号別冊(2020)
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― 374 ―― 374 ―いだろうか。試みとして、邦信について考えてみる。木下氏の論文で提示された個人蔵本(注8)は若菜帖源氏四十賀と女楽を描いており、岡田美術館本は若菜帖源氏四十賀・初音帖小松引きを描いている。両者を比較すると、他の作品では認められない、段差をつけた特徴的な建築物、目立つように描かれる水面で泳ぎ回る水鳥たちなどが共通し、これを現時点での特徴の一つとして考えられないだろうか。では、養信の特徴とは如何なるものか。本稿では養信筆源氏物語図屏風全体を詳細に見てゆき、総体的な構成のあり方や図様の傾向等を明らかにしてゆきたい。3、養信筆源氏物語図屏風とテキストとの関係まず、養信筆源氏物語図屏風とテキストとの整合性から、どのようにテキストを「読み」、何を意識して「絵画化」したのかを見てゆきたい。なお、養信作品の内、源氏が若紫を垣間見る「若紫」や小松引きを行う「初音」、紫の上が雛遊びをする「紅葉賀」はほとんど典型的なモチーフで構成されているため、その他の作品について見てゆく。紅葉賀帖の青海波場面を描くのは、石山寺本、林原本である。注目するのは、左大将が、帝の御前にある菊を折り、源氏の頭飾りを差し替えようとする図様である。この2点には、左大将が持つ菊と同種と思しきものが、確かに帝の近くに咲き誇る(注9)。他作品の多くは左大将を描かず、また左大将を描く住吉具慶の「源氏物語絵巻」(MIHO MUSEUM)には菊は植えられていない。養信は、テキスト内容、場面から想定される舞台設定を組み立てて絵画化していると言える。なお、楽人を描く際、養信は、紅葉賀では束帯装束、胡蝶では雅楽装束姿としている。同場面では、土佐派は雅楽装束であるが、岩佐派は紅葉賀では雅楽装束、胡蝶で束帯装束としている。養信は、紅葉賀の楽人について、テキストで殿上人や宰相といった具体的な身分を示す人物が記されていることに注目し、束帯装束で描いたのではないだろうか。次に、若菜帖に取材した作品をみてゆく。源氏四十賀を描くのは、法然寺本、遠山本である。遠山本、法然寺本では、沈の折敷が4つあり、源氏が盃を持つことも本文に即しているが、一方で髭黒の大将と玉鬘の子2人を振分け髪ではなく、左右で結んで垂らす姿にしている。また、法然寺本に描かれる二条院での賀宴は、舞台の左右に楽人の平張が設置されたというテキストを忠実に絵画化している。こういった舞台設定や装束に関しては、文化12年(1815)5月に行われた江戸城白書院での舞楽の地取を行った経験を活かしている可能性がある(注10)。

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