― 375 ―― 375 ―同じく舞の場面である胡蝶に取材した東博本を見てみたい。鳥装束・蝶装束合わせて8名の女童が舞い、それぞれ、銀の花瓶に桜、金の花瓶に山吹を挿すはずであるが、養信は、絵画化の際、蝶装束4名のみとしている。また、平張は設置せず、廊下を楽屋とする点はテキストに即しているが、楽人が椅子に坐していない点は合致しない。そして、石山寺本は少女帖のうち五節の舞当日の舞姫ではなく、事前に行われる介添え選びを描く。従って、多くの作品で描かれるような頭飾りを付ける儀式当日の姿ではなく、「承安五節絵」のような童女の正装である汗衫姿をし、4名の舞姫と混同しないように5名で描く点には配慮が見られる。絵合帖を描くのは、東博本、個人本である。個人本の冷泉帝御前での絵合では、絵を納める箱などは左右の色である赤と緑に分けられるが、女房の装束の色の対比は明確には描かれていない。また、東博本では、華足の上を覆う葡萄染の唐の綺のある箱を持つ女性が廊下に立つ様子が描かれる。個人本でも、藤壺の前での絵合では女房が絵を運び、冷泉帝御前での絵合では束帯姿の男性2名が、それぞれ葡萄染の唐の綺のある箱、青地の高麗の錦のある箱を持って描かれ、バリエーションに富んでいる。岩佐派作品はテキストに即し、絵を運ぶ童が描かれるが、それに比べ、養信はテキスト通りではないものの、その場面の環境を整えるべく絵を運ぶ人物を描いているのではないだろうか。このように、養信は、テキストの完全なる復元として制作しようという意識は見られない。古画学習や経験を活かし、テキストを考慮してその行動を行う為に必要な人物、植物、器物を画面に入れ、その場の環境を整える傾向が認められる。赤澤氏は、養信作品の建築描写に注目し、丸柱など古式であるが、畳を敷き詰めており、平安時代への正確な復古ではなく、あくまでも婚礼調度として求められた、高貴な貴族住宅像の追求が意図されているとされた(注11)。本稿でも、養信はテキストを考慮し、古式を意識しつつも、物語が生み出された当時の完全なる復元ではなく、場面に相応しい舞台設定を意識して、図様を再構成していると考えられるのである。4、図様に見る他作品との影響関係次に、養信作品は土佐派だけでなく、岩佐派とも通ずる点があることを示しつつ、目指す方向性は異なることを指摘する。そして、古画図様をどのように選択して自らの作品に活かし、意味や効果を与えているのかを検討することで、養信の目指す形を明らかにしたい。まず、岩佐派の源氏絵の特徴について確認したい。廣海氏によれば、岩佐派は、紅
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