― 376 ―― 376 ―葉賀では舞を向かい合わせて描き、阿美古氏は主要人物以外の人物も生き生きと個性的に描くと指摘する(注12)。養信作品では、絵合帖や若菜帖では多くの人が描かれ、岩佐派作品のような物を運ぶ人物も散見される。法然寺本には、向かい合って舞う人物も描かれる。しかし、岩佐派の特徴である、天皇の顔を描き、貴人を艶めかしい姿で描くことは養信作品には見られず、主役以外にも光を当てつつも卑俗化とは程遠い。では、養信が目指すものとはなんだろうか。その表れの一つとして、尊さ、寿ぎ、縁起の良さを強調する作品が見られることに注目したい。まず、石山寺本である。紅葉賀の青海波の場面には、庭に鶴の置物が描かれる。こういった鶴の置物は、「石山寺縁起絵巻」、「駒競行幸絵巻」、「春日権現験記絵巻」等いずれも御幸や天皇の前での舞といった場面に描かれている。「春日権現験記絵巻」については、巻5藤原俊盛卿の庭園のうち、川の柵、兎、鳥小屋などが養信筆「胡蝶船遊之図」(永青文庫)に転用されていることが指摘されている(注13)。俊盛卿の庭園に関しては、自然と人との融和、動物の生命の安全、そして繁栄といった意味を示しているとの指摘もあり(注14)、このような庭園のモチーフを随所に入れ込むことで、「胡蝶船遊之図」にも理想郷の如き寿ぎの庭園を表すことができている。婚礼調度の一つであっただろう石山寺本についても同様の工夫がなされ、養信は、テキストには記されない鶴の置物という、絵巻で繰り返し賀のモチーフとして描かれたものを入れ込むことで、高貴な人物の前での舞であることを強調し、尊さ、寿ぎ、縁起の良さを強調しているのではないだろうか。また、賀の場への視線の誘導も養信の工夫の一つと考える。法然寺本や石山寺本、林原本は、舞を物見する公卿が、下襲の裾を高欄に掛け、時には体ごと向きを変えて舞を見る。岩佐派、住吉派では、公卿たちは、体を舞へ向けるが裾はなく、土佐派、狩野派は裾を掛けるが舞に背を向けることが多い。養信のこの公卿の姿は「駒競行幸絵巻」からの影響が指摘されているが、顔や体を舞の方へ向ける様はむしろ「年中行事絵巻」巻1朝覲行幸の「舞御覧」〔図3〕に見られる姿である。養信等による「年中行事絵巻」の摸本が東京国立博物館に所蔵されており、養信は、蓄積した古画図様の中からこの姿を選択して作品に活かしているといえよう(注15)。ここで舞が行われる庭に注目したい。養信の水平的な構図は栄信に萌芽があるとされるが、さらに遡ると、室町時代の「源氏物語 早蕨・手習図屏風」(出光美術館)や光信様式の「源氏物語図屏風 初音・野分」(注16)にも片鱗が認められる。しかし、庭と室内の比率を考えると、特に林原本、石山寺本、東博本、遠山本は、光信様
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