― 377 ―― 377 ―式・栄信・邦信作品よりも庭が広く画面を占め、人々の視線も庭での出来事へ集まっている。初音帖の小松引き場面では、源氏は手紙を手にして読む姿で描かれることが多いのに対し、遠山本は長寿を願う小松引きを眺める様子が描かれる。つまり、法然寺本などの高欄に裾を掛けつつ体ごと舞へ向けて眺める公卿も、賀の行事が行われる庭へ関心を寄せることを表すのに有効な図様であったと考えられるのである。絵巻物の一場面を拡大したかのような構図については、引きをなくして建築物に接近し、清涼殿や六条院などの室内や庭を広くとり、人物を大振りに描くことによって観者は画面と一体化できたとされる。そして精緻に描かれた各帖を象徴するモチーフを確認しながら、参席者の視線でこの場で行われていることを粒さに見ることができ、自身が画面に描かれた典雅な世界の一員であることを自覚させる視覚的効果があるとも指摘される(注17)。しかし、構図のみならず、養信は古画を参考にし、寿ぎの要素を加えることで作品の賀を高め、計算された視線によって作品の鑑賞者も賀の行事に注目させることに成功している。テキストの復元ではないが、古式を意識しつつその場面を整えるとともに、婚礼調度などの雅な作品に相応しく賀を強調させることに力を注いでいると言えよう。5、おわりに以上、養信筆源氏物語図屏風全体を改めて検討し、古典を再構成する様やそれによる効果を明らかにすることを試みた。しかし養信の独自性については、江戸時代中期・後期の狩野派作例が乏しく、まだまだ検討の余地がある。今後の作品の発見を期待したい。また、養信にとって「やまと絵」とは何か、という課題が残っている。養信は、冷泉為恭(1823~1864)に「年中行事図巻」(細見美術館)を制作させたが、「古躰」であることを指示していた。既に「承安五節絵」や「春日権現験記絵巻」との関係が示され、伝統的な暦を描くことで西洋暦を主導する幕府を牽制するという、為恭の視点による作品の意義も推察された。しかし、養信の視点での作品の意義の検討、及びやまと絵の代表的な主題である年中行事がしばしば狩野派作品に用いられることから、主題の役割も検討する必要がある。改めて「古躰」とは何かを再検討し、「年中行事図巻」の意図、養信にとってのやまと絵の意義を探ってゆきたい。この研究が、近世後期のやまと絵の再編、展開の様子を捉える研究の一助となることを願っている。
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