― 27 ―― 27 ―根本中堂旧像と善水寺、勝常寺、古保利薬師堂、善根寺収蔵庫の諸像と南禅寺の尊像構成を比較した。結果、根本中堂及び善水寺とは、薬師如来に梵釈二天と四天王、僧形坐像を配する点で一致を見た。勝常寺像、古保利薬師堂像を見ると、古保利薬師堂に梵釈二天はなく、勝常寺には存在した可能性はあるという状況であるが、四天王、十一面観音、僧形坐像を配する点で共通し、古保利薬師堂ではさらに吉祥天の存在が共通する。尊格構成が最も一致したのは善根寺収蔵庫で、帝釈天と四天王、吉祥天、僧形像が一致、帝釈天像が存在し、梵天像もあった可能性がある。また神像の存在が多数の神像を抱える南禅寺と近い。ところで、根本中堂像と勝常寺諸像は同時期、古保利薬師堂像もあまり時を隔てない時期の群像だが、3者の尊像構成は互いにおおむね類似する。ここから、天台宗(延暦寺)、法相宗(勝常寺)という異宗派間において、同様の尊像構成が採用されていたことが分かる。古保利像の造像背景は不明だが、古保利像が造像された9世紀前半は天台宗教団の揺籃期にあたり、この時期の天台教団が地方に寺院を建立したとは考えにくい。一方、奈良仏教諸派は、国衙や郡衙と結びつき、すでに各地で寺院を建立していた。このことを考えると、古保利像は奈良仏教勢力による造像と考えられる。善根寺諸像も造像事情が不明だが、天台系の薬師如来像の造像は、おおむね10世紀半ば以降盛んになると考えられるところから、9世紀後半~10世紀前半と考えられる善根寺諸像も奈良仏教勢力による造像と思われる。同様に南禅寺諸像もその可能性が高い。従来南禅寺諸像に関しては、地方作とする見方が強かったが、その造形力は巧みで、むしろ作風は中央造像と共通する。前述のカヤを用いる用材観も正統であり、この点からも、南禅寺諸像は奈良仏教の中央作の系統に属すると考えられる。さらに南禅寺に存在する吉祥天像が、根本中堂・善水寺に見られないのに対し、古保利薬師堂と善根寺にあること、勝常寺と古保利薬師堂に十一面観音が存在し、古保利像に関しては草創期の十一面観音像が3体ある点が注目される。これらを含め全体を俯瞰すると、勝常寺、古保利薬師堂、善根寺、南禅寺の諸像には雑密の要素が色濃く、この点もこれらの諸像が奈良仏教による造像であることを示していると考えられる。ところで、勝常寺、古保利薬師堂、善根寺、南禅寺を奈良仏教の造像とすることが認められるのであれば、この種の薬師如来群像は、日光月光菩薩を脇侍とし(南禅寺では確認できない)、梵釈四天王、僧形像を配するのが基本形で、さらに吉祥天や十一面観音など雑密諸像が加わる点に特徴が認められる。このうち基本形は根本中堂
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